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zoom RSS 石田三成の実像1665 今回発見された嶋左近書状二通1 京都新聞記事「嶋左近=有能な官僚」

<<   作成日時 : 2016/07/04 10:52   >>

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 今回、三成の重臣であった嶋左近の書状が二通発見されました。このことに関して、京都新聞に、「嶋左近=有能な官僚 書状2通発見、新人物像浮かぶ 滋賀・長浜」と題する記事が掲載されました。
 その記事によると、次のようなことが記されています(抜粋)。
 「左近の書状が完全な形で見つかるのは初めて。検地の方法を指示するなどの内容で、長浜城歴史博物館博物館などは『猛将とされる左近だが、官僚としての能力もあったことが裏付けられた』としている」、
 「東京大史料編纂所の村井祐樹助教が昨年11月、大阪府内の民家で発見し、同博物館の太田浩司館長と調査していた。1通は豊臣秀吉が北条氏の小田原城(神奈川県)を開城した直後の1590(天正18)年7月19日付で」、「常陸国(現在の茨城県)の武将佐竹義宣の家臣小貫頼久に宛て、常陸の大名の大掾(だいじょう)氏が秀吉の命である人質の差し出しを渋ったことについて照会した内容。
 もう1通は6日後の25日付で、義宣の一族に検地の方法や兵糧米の徴収などを指示する内容」、「2通とも左近の実名の『清興』と花押が記されていることなどから、左近の書状と確認した。」
 「左近のものとされる書状は国立国会図書館(東京都千代田区)所蔵の断片があるが、信ぴょう性は低いとされる。2008年には左近の名前が記された三成の書状が長浜市高月町で見つかっている。
 太田館長は『伝説と思われていた人物の実像に迫る発見。猛将だけでなく能吏であることが分かった』と説明。村井助教は『小田原攻め後の秀吉の東国支配について分かる貴重な資料』としている。書状は23日から8月31日まで同博物館で開く特別展で展示する」などと。
 記事の中にある、2008年に発見された「左近の名前が記された三成の書状」は、新聞などで大きく報道されましたし、拙ブログでも取り上げました。その時に長浜城歴史博物館で展示された三成書状も見てきましたが、今回発見された左近の書状も見に行くつもりです。
 これらの嶋左近書状が書かれた前後の三成の行動ですが、忍城を開城させたのが通説では7月16日、桐野作人氏などの説によれば6月27日、その後宇都宮に向かいます。中野等氏の「石田三成の居所と行動」(藤田讓治氏編『織豊期主要人物居所集成』【思文閣出版】所収)には、忍城落城後「三成は浅野長吉・大谷吉継らと奥州仕置きを命ぜられ、三成は海道筋(相馬通り)を北上したと考えられる。7月25日、恐らく宇都宮で鹿島社の大宮司則興に社領において乱妨狼藉を行う者は罪科に処す旨の文書を手交する(『鹿島神宮文書』)」と記されています。今回発見された嶋左近書状の1通と同日付の三成書状です。
 

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