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zoom RSS 石田三成の実像1706 太田浩司氏「大河ドラマ『真田丸』を3倍楽しむ講座 第二回」1 嶋左近書状1

<<   作成日時 : 2016/08/28 11:21   >>

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  昨日長浜で行われた太田浩司氏による「大河ドラマ『真田丸』を3倍楽しむ講座 第二回」を第一回に引き続いて聴きに行きました。ドラマと史実の違いをいろいろな史料をもとに論じるもので、今回も大いに勉強になりました。
 まず新たに発見され、三成重臣の嶋左近の書状について触れられていました。嶋左近は「真田丸」の21日の放送で初めて出てきていましたが、槍の稽古に励み勇猛な武将を彷彿とさせる登場ぶりでした。恐らく関ヶ原の戦いで、奮戦する嶋左近の姿も描かれるのではないでしょうか。しかし、嶋左近の書状から見られる左近像はそれとは異なるものであり、外交官、文官的な面も持ち合わせていたことが、今回の講座で指摘されていました。
 嶋左近の書状については、7月4日付の拙ブログ記事で、京都新聞記事の内容をもとに取り上げました。またこの書状は長浜城歴史博物館の特別展「石田三成と西軍の関ヶ原合戦」に展示されていますし、図録にも掲載されていますが、その書状の解説文についても、拙ブログ記事で紹介しました。
 嶋左近が発給した文書が発見されたのは初めてであり、実態がほとんど不明であった嶋左近の存在・実名を決定づける重要な史料であると評価されていました。
 実名ですが、「嶋左近清興」と記され、「島」ではなく、「嶋」であり、諱は「清興」であることが明らかになりました。  この書状の発表の経緯については、講座のレジュメに次のように記されています。
 「東京大学史料編纂所が、豊臣秀吉関係史料の調査のため大阪府の民家を訪れたところ、2通の嶋左近文書を発見した。史料編纂所で簡単な修復を施すのと並行して、石田三成研究の中心であり、唯一嶋左近の名が記されている文書を所蔵し、かつ従来から協力関係にある長浜城歴史博物館と共同調査・研究を行った。その結果、嶋左近の出した書状に間違いないことが確認された」と。
 「唯一嶋左近の名が記されている文書」とは、2008年に発見された今井清右衛門尉宛の石田三成判物であり、長浜城歴史博物館に展示されているのを実際見ましたし、その文書の内容についても拙ブログ記事で紹介しました。
 今回発見された嶋左近書状は、1通が天正18年7月19付の小貫頼久宛のものであり、もう1通は同年7月25日付の佐竹(東)義久宛のものです。
 書状の内容については、講座のレジュメに次のように記されています。
 「天正18(1590)年、豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼし、続いて奥羽仕置に向かう間に、嶋左近から常陸の戦国大名佐竹義宣の重臣小貫氏と一族の佐竹義久宛てに出されたものである。嶋左近が、豊臣秀吉に臣従することとなった常陸佐竹氏との交渉に当たっていることが分かる書状である(当時嶋左近は、宇都宮近辺に在陣していた)」と。

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