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zoom RSS 石田三成の実像1685 大河ドラマ探訪415「真田丸」81「秀吉チルドレンそれぞれの正義」6文禄の役

<<   作成日時 : 2016/08/06 11:47   >>

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NHKで放送された「真田丸第二章まるわかり 秀吉チルドレンそれぞれの正義」では、文禄の役で渡海した三成・大谷吉継・増田長盛が名護屋の諸将に内々で記した三奉行連署状案が取り上げられ、三成たちがこの戦いの状況について、「兵糧が底をつきかけている」「兵士の数が足りない」などという記述があり、唐入りの続行は困難だと主張し、清正ら武将らの苦境を報告し秀吉を必死に説得しようとしたといわれていると解説されていました。
 この書状については、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)や、名護屋城博物館発行の図録「佐賀県立名護屋城博物館・韓国国立晋州博物館学術交流記念 特別企画展 秀吉の文禄・慶長の役」の中で取り上げられています。その書状が書かれた時期について、同図録には、天正20年7月か8月だと推定されています。この時期だとすると、三成らが渡海してまもなくの時期です)。
 番組では、そのことを知った清正が別の家臣に記した書状が取り上げられ、「都衆ばかりが偽りばかりを述べている」という記述を紹介し、「『都衆』とは三成ら奉行衆のことで、戦地の事情をよく知らない者がいくさを勝手にとめようとしていると激怒したといわれている」と解説されていました。
 「都衆」が三成のことを指しているのかどうかは検討の余地があります。「戦地の事情をよく知らない者」が三成でないことは、三成ら三奉行連署状の内容を見てもわかります。
 この清正書状は同図録にも掲載され、文禄2年4月18日付の、秀吉の側近の長谷川守知に宛てたものです。その解説には次のように記されています。
 「朝鮮国皇子を日本に運行する命令を遂行中で漢城〜釜山間の『古都』まで陣を進めている事、清正の働きを『都衆』が偽りを言上しており心許無い事、この頃は日本軍が『長陣』により疲弊しているため明軍の勢いが強くなってきている事を報告している。清正が長谷川守知へ、秀吉への取り成しを依頼する様な文調で、また、具体的な讒言の内容は判然としないが、朝鮮国へ派遣された奉行衆との確執を窺わせる史料である」と。
 「讒言」という言い方に、意図的なものを感じますし、奉行衆との間に若干の「確執」めいたものがこの時点であったのかもしれませんが、決定的なものではありませんし、清正はこの後、帰国して明使との接待に当たっており、三成との協力姿勢が感じられます(三成の讒言によって清正は帰国させられ、蟄居させられたという従来からの捉え方は事実ではありません)
 三成は4月中旬まで漢城におり、明使を伴って5月6日ころまでに釜山に到着しています。
  

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