関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1725 旅行記69東北旅行1 久保田城跡1 三成の盟友、佐竹義宣に贈られた手水鉢

<<   作成日時 : 2016/09/17 09:01   >>

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 写真は秋田の千秋公園にある茶室の手水鉢を昨日撮ったものです。
 一昨日から秋田に来ています。明日から三連休を利用して、オンライン三成会の有志の人々と秋田や弘前の三成ゆかりの場所を回ることになっていますが、自分は先に飛行機で秋田入りしました。秋田は三成の盟友であった佐竹義宣が関ヶ原の戦いの後、常陸から転封になった地であり、秋田にある帰命寺に三成のものと伝わる墓があります。
 また津軽は、関ヶ原の戦いの後、三成の二男の重成が落ち延びた地であり、この地で杉山源吾と名を替え、津軽藩で重く用いられました。三成の三女の辰姫は、関ヶ原の戦いの後、北政所の養女という立場で津軽藩の二代藩主の信牧(のぶひら)に嫁いぎ、後に三代藩主となる信義を生んでいます。津軽藩が三成の子たちに好意を示したのは、津軽家が三成のとりなしによって存続を許されたからでした。
 千秋公園は佐竹義宣が築城した久保田城の跡地であり、ここも明日、三成会の人々と訪ねる予定ですが、ゆっくり回っている時間的な余裕はないだろうと思って、一時間半余りかけて大体見て回りましたし、民俗芸能伝承館、旧金子家住宅、赤れんが郷土館を見た後、再び千秋公園に戻って見残したところを見ました。もっとも、公園内に佐竹史料館があるのですが、ここは会員の人々と見学するつもりなので、今日は外しました。
 千秋公園の北西に久保田城御隅櫓が建っていますが、これは復原されたものであり、観覧料百円を払えば、中を見ることができます。館内には、歴代秋田藩主のパネルや、江戸時代の秋田藩の様子をしのばせるものがいろいろ展示されていますし、最上階である四階からの眺めも楽しみました。
 映像コーナーもあり、茶室の前にある手水鉢のことも説明されていました。すなわち、文禄・慶長の役の際、清正が持ち帰って秀吉に進上し、それを三成が佐竹義宣のために与えたと云われ、義宣はわざわざこの手水鉢を常陸から秋田まで運んできたと。この手水鉢のことは、オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)にも出てきます。
 石田三成のことが特集された「歴史人」9月号(KKベストセラーズ)の中の「西軍諸将 その思惑と動向」の中で、佐竹義宣について次のように記されています。
 「小田原攻めに参陣し、軍監となった三成のもと館林・忍城を攻めたことがある。三成とは親密で、三成が七将に攻撃されたときにも助けたという。西軍につくことには父義重が反対し、結局、中立的な立場をとった」と。
 この手水鉢にそういう義宣と三成の交流をうかがわせる話が伝わっているのかと思うと、愛着が湧いてきます。

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