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zoom RSS 石田三成の実像1729 旅行記72東北4 三成のものと伝わる、秋田の帰命寺の墓

<<   作成日時 : 2016/09/21 08:55   >>

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 写真は秋田の帰命寺にある、三成のものと伝わる墓を17日に撮ったものです。この墓のことは、オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「羽後・秋田」の章に詳しく書かれています。この章及び「大谷吉継」の章を担当した佐藤誠氏に、今回の東北旅行で初めてお会いしました。「三成伝説」が最初に出版されたのは、2009年のことですが、それ以前もそれ以後もネット上のつながりだけで、直接お会いしたことはありませんでした。
 17日はオンライン三成会の人々と秋田で合流しましたが、佐藤氏の案内で午前中は千秋公園を廻り(私は前日も見学していますが、この日は佐藤氏にボランティアガイドの人を手配していただき、前日には気づかなかった新たなことをいろいろ聞き知りました)、午後は上述の帰命寺、佐竹氏の菩提寺である天徳寺を回った後、佐竹史料館を見学しました。
 帰命寺も「三成伝説」で知っているだけで行ったことはなかったので、ようやく訪ねることができたことに、深い感慨を覚えました。
 天徳寺は、総門や山門は見ることができましたが、霊屋は塀越しにしか見られず、中の様子はよくわかりませんでしたが、佐竹家にとっては聖なるところなので、無理からぬことでした。
 夕食は佐藤氏推薦の店でみんなで取りましたが、秋田発7時32分発の、最終の特急「つがる5号」で弘前に移動しなければならなかったので、二時間ほどの会食であり、最後の方はばたばたして駅に急いで移動し、ぎりぎり電車に間に合いました。佐藤氏とは店で別れましたが、親交を深めることができたのは、なによりのことであり、貴重なひとときでしたし、新たな資料もいただき、感謝の念に堪えません。
 なお、この日、弘前のホテルに着いたのは10時を過ぎていました
 帰命寺の墓については、白川亨氏の「石田三成の生涯」(新人物往来社)にも出てくるのですが、「三成伝説」にもそのことは触れられています。すなわち、帰命寺の開祖である長音上人は三成の弟の子ではないかと。
 「三成伝説」ではさらに切り込んで、長音上人と三成が同一人物ではないかということについて、いろいろな点から検証されています。
 三成と佐竹義宣との友誼、三成が関ヶ原の戦いの後佐竹家に潜伏し、剃髪して帰命寺で亡くなったという記述が、秋田の古書「羽陰温故誌(ういんおんこし)」にあることなどがその論拠に挙げられています。
 確かに長音上人は三成とは年齢的に合いませんから、三成自身ではなかったでしょうが、こういう伝承が残っているというところから見て、三成の一族か家臣であった可能性は少なくないように思います。
 
 
 

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