関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1717 「歴史人」童門冬二氏の「石田三成の『義』とは何か?」2 私物化?三成の美徳

<<   作成日時 : 2016/09/08 10:38   >>

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 「歴史人」の童門冬二氏の「石田三成の『義』とは何か?」の中で、徳川家康への嫌悪感が三成の行動原理となったと述べられています。
 同書には、死の直前の秀吉と三成との間に次のような会話があったのではないかと想像されています。
 「佐吉(三成の幼名)よ、世の風向きは家康に向いてきたな」
 「そのようです。しかし私は絶対に風には乗られません。あらゆる手を使って妨げます。場合によっては家康を葬ります」
 「たのむぞ、わしの願いは秀頼を天下人にすることだ」と。
 「真田丸」では、死ぬ直前の秀吉が三成に家康暗殺を命じていましたが、この会話はちょうど反対になります。
 もっとも、童門氏の同書では、この会話はまちがいだと指摘され、その理由として「二人共政権を私物化しているからだ」と記されています。
 しかし、「私物化」というのが、むしろ間違いではないでしょうか。秀次事件後、諸大名は秀頼に忠誠を誓いましたし、五大老・五奉行制も豊臣政権を支えるために作られたものであり、秀吉亡き後は秀頼を守るためのものであり、それが豊臣公儀でした。「私物化」というなら、秀吉が織田家から政権を奪ったこと自体がそうであり、秀頼に政権を渡すことだけをそう言うのはおかしいのではないでしょうか。
 また家康も関ヶ原の戦いに際して、秀頼を守るということを標榜していましたから、西軍も東軍も豊臣公儀を称していました。もっとも、西軍が「内府ちがひの条々」を出した時点で、家康の公儀性は奪われていたという白峰旬氏の見解があります。家康が将軍という選択肢を選んだのは、このままでは豊臣家の大老という地位にとどまったままであり、豊臣公儀の枠内から離れられなかったためだと私は考えています。
 童門氏の同書では、日本人に三成の美徳としてうけとめられているのは、「人間としての義、いさぎよさ、責任感、清貧、部下愛、家族愛、領民愛」という点であり、それが「いまも絶えないのは、日本人として嬉しいことであり、生きる力づけにもなる」と記されています。確かに、そういう点が評価されているのは事実ですが、それがまだまだ多くの人々に浸透していないという現実があり、それは小説やドラマでの三成の描き方が、江戸時代からの旧態依然としているものが少なくないことでもわかります。
 「晩年の秀吉は孤独だった。その秀吉の孤独にそっと寄り添っていたのが、三成だったのである」という結びの文は印象的であり、豊臣家に殉じた三成の姿が浮かび上がってきます。
 

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