関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 大河ドラマ探訪443「真田丸」110 「真田丸」展2 毛利勝永の陣羽織・信繁の采配、薙刀、兜

<<   作成日時 : 2016/10/11 10:37   >>

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  「真田丸」展は東京、上田、大阪と巡回されて開かれていますが、大阪会場限定の展示品として、講演会で紹介されたもの以外にもいろいろあります。
  その中でも一番目についたのは、毛利勝永の形見の品と伝わる陣羽織です。緋色で、背中には大の字、下には金の渦巻模様があしらわれています。
 この陣羽織について、「真田丸」展の図録には、次のように記されています。
 すなわち、毛利勝永は「大坂夏の陣で豊臣方に加わり、大坂城落城とともに自害した。(中略)勝永は関ヶ原合戦ののち土佐の山内一豊に預けられた縁があったことから、勝永の形見として家臣に託されていた本陣羽織は明治25年(1892)に山内家へ譲られた」などと。
 大河ドラマ「真田丸」で、いつ勝永が出てくるか興味がありましたが、関ヶ原の戦いの後、小早川秀秋が見る亡霊の中に登場していました。むろん、勝永は亡霊ではなく、大坂の陣まで生き残るわけですが、生霊がたたるということもありますから、描き方として不自然ではありません。勝永は、一時山内家に預けられていました。
 また信繁所用と伝わる采配も大阪会場限定の展示品ですが、展示されるのは5日からだった(私が見たのは2日)ので、今回は残念ながら見ることはできませんでしたが、図録には掲載されており、次のように解説されています。
 「薙刀と同様、越前松平家に伝わる真田信繁所用とされる采配。髪の房の部分に血痕とおぼしき染みが残っていることから『幸村血付きの采配』として知られる」などとあり、由緒書や「松平文庫」の「諸士先祖之記録」の記述も取り上げられていますが、西尾仁左衛門尉宗次が幸村と鑓を合わせて討ち取ったと記されています。
 「薙刀」とありますが、この展示も5日からであり、今回は見られませんでした。なお、「薙刀」は3会場とも展示されています。「真田丸」展の図録には、「薙刀」について、「大坂夏の陣において、真田信繁を討ち取ったのは、越前松平忠直家臣・西尾仁左衛門尉宗次とされる。その西尾家の子孫に伝わり、のちに藩主松平家に献上されたもの」とあり、由緒書に「此長刀及采配ハ当藩士西尾仁左衛門尉宗次が茶臼山ニ於テ真田幸村を討取りタル際分捕セシモノ也」という記述があることが記されています。
 実際に展示されていた信繁所用のものとして、高野山の蓮華定院が所蔵する頭形兜がありました。蓮華定院は「真田丸紀行」で「蟄居となった真田親子が頼った寺」として紹介されていました(図録では「高野山へ流された昌幸・信繁親子の最初の滞在先」と記されています)。図録ではその兜の解説に次のようなことが記されています。
 「人の頭の形を模した兜を頭形兜という。軽く大量に生産できる兜として戦国時代に誕生した。本兜は鉄地に黒漆がかけられたもので、信繁所用の兜として伝承した」と。

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