関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 石田三成の実像1753大河ドラマ探訪449「真田丸」116 「真田丸」展7 「関ヶ原合戦図屏風」3

<<   作成日時 : 2016/10/24 10:13   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 大阪歴史博物館で開かれている「真田丸」展に、展示されている、津軽屏風と呼ばれる「関ヶ原合戦図屏風」ですが、拙ブログ記事でも取り上げているように、藤本正行氏の「『関ヶ原合戦図屏風』で読み解く 戦場の二日間」(『歴史群像シリーズ 戦国セレクション 決戦関ヶ原』【学研】所載)には、各場面について取り上げ解説されており、その続きです。
 杭瀬川の戦いが行われたとされる9月14日の様子について、西軍が八幡宮で祈願しているところが描かれています、その解説文に次のように記されています。
 「境内にいるのは西軍の武士。右下のひざまずいて合掌する羽織姿の二人は、武運長久を祈っているのであろう。広げた扇を膝の前に置くのは礼儀の作法である。左手の社殿の脇では、ひざまずいた武士が両手で文書を広げている。地面に置かれた硯箱の状態から、この武士は右筆(ゆうひつ・書記)役で、左側の立派な甲冑姿の武士が神前に納める願文を口述筆記したところと見える。境内の前の道には、抜き身の刀をかついだ武士が首を下げて走っている。杭瀬川の戦場から戻ってきたところだろう。このときの首実験は八幡宮の社殿で行われた。戦場へ走る甲冑武者との路上での交錯が、緊張感を盛り上げる」と。
 オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)で、三成が首実検をしたのは遮那院の門前と伝えられ、かつては「首実検橋」というものがあったということを記しましたが、大垣市文化財保護協会発行の「大垣城の歴史」のコラム「首実験橋」でも取り上げられています。このコラムでも、杭瀬川の戦いについて記され、嶋左近の活躍、東軍の野一色頼母以下三十余人が討ち死にしたことなどが記されています。
 こういう地元の話からも、杭瀬川の戦いは実際おこなわれたことがうかがえます。
 家康は9月14日に東軍の赤坂の本陣に到着しており、嶋左近は味方の士気を鼓舞するために杭瀬川の戦いを起こしたとされています。「関ヶ原合戦図屏風」」には、家康勢が呂久(ろく)の渡しを渡る姿が描かれていますが、かなりリアルです。藤本氏の解説には、「小袖姿の中間・小者が多く、挟み箱をかつぐ者も見える。川中には腰まで漬かって渡河する者、右下には流されて溺れる者も見える。手前では川を渡ったばかりの武士たちが羽織の裾を絞っている」と記されています。
 さらに赤坂宿を抜けて岡山の本陣に入る家康の一行が描かれていますが、「好みの黒い甲冑を着用し、白馬にまたがる」家康の姿があり、「白鉢巻で髭面、色黒で眼光鋭い容貌」をしています。また家康の前方を行く長槍隊の姿も描かれています。
 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
石田三成の実像1753大河ドラマ探訪449「真田丸」116 「真田丸」展7 「関ヶ原合戦図屏風」3 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる