関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1758  白峰旬氏の「関ヶ原の戦い当日の戦闘経過・戦闘状況について」1 終了時間

<<   作成日時 : 2016/10/29 11:05   >>

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  白峰旬氏の「関ヶ原の戦い当日の戦闘経過・戦闘状況についてー島津家家臣史料の検討ー」(愛知中世城郭研究会発行『愛城研報告』所載)では、島津家家臣史料の記載箇所が列挙されていますが、14ページに及ぶものであり、白峰氏の「関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈ーなぜ大谷吉継だけが戦死したのかー」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号)に比べて数倍の量になっています。
 それらの史料の内容を検討した結果、まず9月14日から15日の気象条件・天候条件について次のように記されています。
 「9月14日の夜は大雨で、その雨の中を大垣から関ヶ原へ移動(行軍)したことがわかる。そして、その時の気温は低く、寒かったことがわかる。9月15日の開戦前の時点では、雨天で霧が深く、周囲の視界が悪かったことがわかる」と。
 これは雨の中の移動、開戦前霧が深かったということは、従来から言われていたことで、この移動で三成方はかなり体力が消耗したと思われます。
 大垣城を出た時間については、「それぞれの記載の時間(時間帯)は完全には一致していないが日没後であることは間違いない」と記されています。
 関ヶ原に到着した時間については、「日の出前の時間帯であったことは間違いなく、『夜の七ツ時分(午前4時頃)』というのが正確な時間と思われる」と記されています。
 合戦の終了時間については、島津家家臣史料の「帖佐彦左衛門宗辰覚書」の中の「(敗北した時間は)午の刻(昼の12時頃)のことであったか」という記載があることから、戦闘時間については次のように指摘されています。
 「宇喜多秀家など石田三成方本隊の戦闘時間(合戦開始から終了までの時間)は、午前10頃から昼の12時頃までの約2時間ということになる。そして、大谷吉継は、それよりも早く、夜明け(日の出)以降に家康方軍勢と合戦をおこない、家康方軍勢と裏切った小早川秀秋の軍勢に挟撃されて敗北した、ということになる」と。
 拙ブログ記事で前述したように、白峰氏の「関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈ーなぜ大谷吉継だけが戦死したのかー」では、大谷吉継隊が戦ったのは関ヶ原エリアであると記されていますが、従来は午前8時に戦いが始まり、午後4時頃に戦闘が終了したと考えられてきたものの、それを覆す見解が示されています。井伊直政と松平忠吉が抜け駆けをして、戦いが始まったこと、家康が小早川秀秋に寝返りを促した「問鉄炮」の話、三成が笹尾山に布陣したことなどは島津家史料には全く出てこないことも指摘されています。
 

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