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zoom RSS 大河ドラマ探訪452 「真田丸」119 「三谷幸喜のありふれた生活」方広寺鐘銘事件・清韓の意図と誤り

<<   作成日時 : 2016/11/01 10:41   >>

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 朝日新聞に連載されている「三谷幸喜のありふれた生活」の「799 人間ドラマは細部に潜む」の中で、「方広寺鐘銘事件」のことが取り上げられています。
 昔から「都合のよい四文字があったものだな」という疑問を三谷氏は持っていたが、今回「真田丸」で「驚愕の事実」が判明したと云います。
 すなわち、「考証の先生のお話によれば、実際は『君臣豊楽』も『国家安康』も、そもそも豊臣方があえて選んだ言葉というのだ。『国家安康』に至っては、家康へのサービスだったらしく、文章を考えた清韓というお坊さんの『喜んで貰えると思ったんだけどなあ』という証言も残っているという。それを知って、すべてが腑に落ちた。豊臣の能天気さ、徳川の底意地の悪さ。これなら脚本家も納得だ」と。
 大河ドラマ「真田丸」では、片桐且元の口を通じてそのように描かれていました。
 この点について、渡邊大門氏の「大坂落城 戦国終焉の舞台」(角川選書)には、清韓の釈明の言葉が載っています。
 すなわち、゜国家安康というのは、御名乗の字(家康)を隠し題として入れ、援護としたものです。(後略)」などと(『摂戦実録』)。
 このことについて渡邊氏の同書には次のように指摘されています。
 「つまり、家康の文字を用いて、国家安康という縁起のいい言葉をひねりだした(つもりだった)のである。そもそも国家安康という言葉自体には、悪い意味がない。
 清韓は悪意をもって鐘銘を作成したのではなく、徳川家・豊臣家の繁栄と四海の平和を願っていたのであった。それを隠し題、縁語という詩文作成上の修辞を駆使して、華やかさを増すよう努力したのである」と。
 さらに清韓の誤りについては、次のように指摘されています。
 「諱を避けることや二字に分けて書かないのがルールであるとするならば、清韓は迂闊(うかつ)であったといえる」、「清韓に悪意があるかないかは別としても、鐘銘に本来入れるべきでない諱を組み込んだのは大きな失策であったといわざるをえない。このような清韓の弁明にもかかわらず、もはや家康はこれを許そうとしなかった」と。
 もっとも、家康が問題にしたのは鐘銘だけでなく、棟札についてもそうだったことが渡邊氏の同書で次のように記されています。
 「さらに数日後、今度は棟札にも強い不快感を表明し、棟札については奈良東大寺のものに従うように主張したのである。(『駿府記』)。ちなみに上棟と棟札の件は、中井正清の入れ知恵によるものと指摘されている」と。
 中井正清は大工頭であり、二条城をはじめ、江戸城、名古屋城などさまざまな城の築城に関わっており、方広寺の建築にも携わっていますが、家康寄りだったことがこのことからもうかがえます。

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