関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1760 白峰旬氏「関ヶ原の戦い当日の戦闘経過・戦闘状況について」3 早くに総崩れ

<<   作成日時 : 2016/11/02 11:01   >>

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白峰旬氏の「関ヶ原の戦い当日の戦闘経過・戦闘状況についてー島津家家臣史料の検討ー」(愛知中世城郭研究会発行『愛城研報告』所載)では、「勝敗が決するまでの戦闘時間の経過」について、「15日早朝の戦い(家康方軍勢と小早川秀秋の軍勢による挟撃)で大谷吉継が戦死し、その後、巳の刻(午前10時頃)頃に家康方軍勢が石田三成方本隊を攻撃して、それから時間的に早い段階で石田三成方本隊の陣が総崩れになったことになる」と記されています。
 「石田三成方本隊の陣が総崩れになった」という点については、島津家家臣史料に三成方が「はらはらと敗軍した」との記載が二箇所あることが指摘され、「はらはらと」は『時代別国語大辞典(室町時代編四)』によれば、「立向かうものを、ものともせず、やすやすと次次にとくずしたり倒したりしていくさま」の意味だということが記されています。
 また同史料に「石田三成は一時ももちこたえられず」という三箇所ある記載について、桐野作人氏の「関ヶ原 島津退き口」には、「一時=二時間程度」と解釈されているが、白峰氏の同書では、この場合は「わずかな時間」という意味だと解釈されています。
 こういうことから、白峰氏の同書では、「石田三成方本隊の陣が総崩れになった時間は、巳の刻(午前十時頃)以降、早い時間帯であり、最終的に決着がついた(完全に敗北した)のが午の刻(昼の12時頃)ということになる」と指摘されています。
 「一時」について、どちらの意味が適切かは今後の検討課題でしょうが、戦いが通説よりも早く終わったという点では、桐野氏も白峰氏も見解が一致しています。
 島津家臣史料の記載から見られる、合戦の作法についても、白峰氏の同書でまとめられていますが、興味深い内容です。
 「@戦いの前に、時の声(鬨の声)を複数回あげる」
 「A開戦時、進軍する際に幟(のぼり)を立てて進む」
 「B合戦直前(この場合は15日の未明)に備の編成をおこなう」
 「C合戦直前(この場合は15日の早朝)敵状に対する偵察行動をおこなう」
 「D合戦には馬印、相印を持参し、敗北して落ち延びる際には馬印は切り折った」
 「E白兵戦で乱戦になると、蛭巻を取り、削りかけを抜き捨てて戦った」
 「F白兵戦の際には、敵味方を区別するため合図の言葉を使った」
 「G味方である他の部将の要請により、鉄炮衆の加勢を送ることがあった」
 島津勢が最初から戦う意思がなかったとする従来の捉え方は偽りであることを島津家家臣の史料を読んでいるとよくわかります。
 

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