関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1780 旅行記81 湖東の西明寺の紅葉 奉納絵馬は佐和山合戦を描いたものではない

<<   作成日時 : 2016/11/25 10:20   >>

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 写真は湖東三山のひとつ、紅葉が見ごろの西明寺の五重塔を22日に撮ったものです。
 23日の佐和山での琵琶湖一周のろし駅伝に参加するために彦根に一泊しました。前日は昼前に彦根駅に着き、荷物をホテルに預け、昼食を取ってから、シャトルバスで西明寺、金剛輪寺を拝観してきました。百済寺にも行きたかったのですが、時間的に無理でした。次回に期したいと思います。シャトルバスが運行されているのは、私も今まで知らなかったので、両寺とも初めて訪れました。交通の便が悪くなかなか行けないところです。湖東三山をめぐるバスツァーがよく広告に載っていますが、実際、ツァー客の一行が次々と訪れていました。さすが紅葉の名所だけあって、見事な景色が広がっていました。
 西明寺は、三成に少しかかわりのある寺で、一度訪ねたいと思っていました。西明寺に奉納された絵馬が、従来佐和山城攻めを描いたものとされており、実際、本堂にその絵馬があり、「佐和山城合戦図絵馬」と表記されていました。しかし、この絵馬は、伏見城攻めの様子を描いたものであることが、山田喜雄氏によって指摘されており、そのことは以前拙ブログでも触れました。しかし、寺側では従来からの見方を踏襲しているのでしょう、「佐和山城合戦図」となっていました。従来、この絵図に五層の天守が描かれていたために、佐和山の天守は五層だと考えられてきましたが、伏見城だとすると、その根拠の一つが失われます。オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)でも、あの高さの山なら城の天守は三層で十分であるとの中井均氏の見解が紹介されています。
 西明寺絵馬に関する山田喜雄氏の見解ですが、「湖東三山『西明寺』と甲賀望月氏」の中で記されており、2013年6月27日付の拙ブログ記事で記しました。この絵馬は「三成となんらかの関係をもっていた人々の子孫」が、「佐和山落城時における戦死者を弔うために奉納した。当時、石田三成に関する絵馬であることが知れると、幕府からおとがめがあるので、それを偽装工作するために、傍らに源平合戦の絵馬を置いた」という上田道三氏の見解が従来信じられてきましたが、山田氏によってそうではないことが論証されています。
 すなわち、山田氏の同書では「16名の奉納者をひとりひとり調査すると、三成、佐和山に関係する人は一人もいない」こと、西明寺は「信長の兵火で焼かれ荒廃していた」が、「長年の願いであった西明寺再興が」「甲賀望月氏一族のおかげによって」「成ったことを記念として、2枚の絵馬を奉納した」こと、「望月一族が信濃源氏という氏素性を強く意識しているところから、源平合戦の絵馬を奉納し」、もう1枚は「甲賀望月氏にとって忘れることのできない」「伏見落城の合戦絵馬」を奉納したと考えるべきであるということなどが記されています。
  本堂の「佐和山城合戦図絵馬」の向かいに、「源平合戦図絵馬」があり、一対のものであることがわかります。 

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