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zoom RSS 石田三成の実像1783 白峰旬氏「豊臣公儀としての石田・毛利連合政権」6 二大老・四奉行の役割分担

<<   作成日時 : 2016/11/29 10:29   >>

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 白峰旬氏の「豊臣公儀としての石田・毛利連合政権」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号)の中で、布谷陽子氏の二大老・四奉行の役割分担に関する見解についても、検討が加えられ、独自の見解が示されています。
 まず布谷氏の見解について、「@二大老…軍令を発令する、四奉行…その軍令の詳細を伝達する、という分担があり、A二大老…同じ大老の前田利長に対する勧誘工作をおこなう、四奉行…基本的に諸大名に対する勧誘工作をおこなう、という分担があった」というものだとまとめられています。
 まず@点目について、布谷氏が根拠として挙げられているのは、「(慶長5年)8月4日付松井康之宛毛利輝元・宇喜多秀家連署状」、「8月4日付松井康之宛長束正家・石田三成・増田長盛・前田玄以連署状」です。
 白峰氏の同書に掲載されている「石田・毛利連合政権の発給書状についての時系列データベース」には、これらの書状の内容(摘要)について、次のように記されています。
 まず二大老連署状については、「木付城受け取りのため太田一成(臼杵城主・太田一吉の子)を遣わしたので、早々に城を明け渡すように命じる」と。
 四奉行連署状の方については、「丹後では城々をすべて受け取り、『田辺一城』の町と二の丸まで放火し、攻め詰める仕寄を申し付けたので落城が間もなくであることを報じる。秀頼様へ御忠節をすべきであり、太田一成へ申し渡して差し下すので、木付城を速やかに明け渡すように命じる」と。
 白峰氏の同書では、この書状の「場合は豊臣公儀として松井康之の知行召し上げを命じた内容なので、布谷論文で指摘している軍令ではなく、改易権の行使ととらえるべきであ」り、「二大老…改易を発令する、四奉行…改易についてその詳細を伝達する、という分担がおこなわれたことがわかる」、この「四奉行連署状は二大老連署状の副状として出された」と指摘されています。
 白峰氏はすでに「新『関ヶ原合戦』論」(新人物ブックス)の中で、石田・毛利連合政権が成立した論拠の一つとして、「大名改易の実施」が挙げられ、細川忠興を改易処分にしたことが記されています。連合政権側は細川氏の居城である田辺城を攻撃し、細川氏が豊後に領有していた木付城を明け渡すように要求しました。
 A点目については、白峰氏の同書では「前田家以外に島津家に対しても二大老が勧誘工作をしているので(『【慶長5年】8月朔日付島津忠恒宛毛利輝元・宇喜多秀家連署状』)、国持大名クラスの大大名への勧誘工作も二大老が担当した、と見なしてよかろう」と指摘されています。

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