関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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<<   作成日時 : 2016/12/11 21:24   >>

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 写真は近江八幡の八幡公園に建つ豊臣秀次公像を昨日撮ったものです。今日、鳥居本地区公民館で行われた、滋賀県教育委員会文化財保護課の松下浩氏による講演会「大津籠城戦と佐和山城掃討戦」、及びその後、同文化財課の下高大輔氏の案内・説明による佐和山城下町跡、佐和山城址、三成屋敷跡などをめぐる現地見学会(4時間余りに及びました)に参加するため、昨日、彦根に泊まりました。今日のイベントも充実したものでしたが、その報告は改めて拙ブログで後述します。
 昨日は近江八幡で途中下車し、町中を歩いて回ってきました。近江八幡を訪ねたのは10年前ぶりぐらいのことになるでしょうか、その時はレンタサイクルを利用しました。時々、雨がぱらつく天候でしたが、八幡山にロープウェーで登り、山頂の村雲御所瑞龍寺や八幡山城の北の丸跡、西の丸跡を回る時、秀次公像にたどり着いた時は、不思議と雨は降りやんでいました。これも何かの因縁でしょうか。
 ロープウェイの説明アナウンスでは、秀次の切腹について、秀吉の家臣の策略によって切腹させられたという言い方がされていましたが、それは前回の時と同じでした。三成という名前は出していませんが、首謀者は三成ということが想定されているような気がしましたし、江戸時代以降今までとかく三成の陰謀とされてきました。
 三成は秀次の家臣を多く召し抱えていますし、その多くは関ヶ原の戦いで奮戦し壮絶な最期を遂げています。また真田信繁が秀次の娘を側室にして命を助けていますが、そこには三成の尽力があったはずです。信繁が秀次の娘を側室にすることは「真田丸」でも描かれていました。三成陰謀説は誤りだということについては、拙ブログでも、これまでもたびたび触れています。
 「真田丸」では、秀次は自分の意思で切腹していましたが、これは矢部健太郎氏の見解に基づくものであり、秀次切腹事件については根本的な見直しが必要だと思われます。
 昨日は八幡山、八幡堀、町中にある、ヴォーリズが設計した数々の建物などを一通り回ってきました。ざっと4時間半ほどかかりましたが、町のたたずまいも堀の雰囲気も独特の風情があり、時代劇やドラマなどの撮影でよく使われるのももっともだという気がしました。八幡山城も城下町も堀も、もともと豊臣秀吉の甥の秀次が作ったものです。そこに、明治になり、ヴォーリズによって新たな町並みが形成されていったわけです。
 回った順番としては、近江八幡教会、アンドリュース記念館、旧八幡郵便局(いずれもヴォーリズの建築。郵便局の中は自由に見学でき、ヴォーリズ関連の展示がされています)、ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住居)、ヴォーリズ学園(同校出身の乾友紀子選手がリオ五輪のシンクロで銅メダルを獲得したことを祝う垂れ幕が正面に掲げられていました)、白雲館(八幡東学校を復元したもの。今は観光案内所や土産物販売所になっています)、日牟禮(ひむれ)八幡宮、八幡山、八幡公園、八幡堀、ヴォーリズ像、新町通り(近江商人の旧家が並んでいます)、本願寺八幡別院、池田町洋館街(ヴォーリズの設計した住宅が並んでいます)、近江八幡市立八幡小学校です。

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