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zoom RSS 大河ドラマ探訪465 「真田丸」132「三谷幸喜のありふれた生活 『不屈の精神』」・馬印の引き返し

<<   作成日時 : 2016/12/26 21:26   >>

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 22日の朝日新聞に掲載された「三谷幸喜のありふれた生活」の「『不屈の精神』描いた年」の中で、「真田丸」において描きたかった信繁の生き方について次のように記されています。
 「僕は『滅びの美学』を描きたかったわけではない。どんな状況になろうとも、最後の最後まで諦めなかった、その不屈の精神。それこそが、僕が最終的にこの物語に託したテーマだ。それは、真田家が生き残るためなら、なりふり構わず、どんな手でも使ってきた、父昌幸の生き方にも通じる」と。
 「真田丸」では、昌幸の権謀術数ぶりが如何なく発揮されていましたが、史実以上に昌幸が仕組んでいたことになっていた点については、拙ブログで触れました。
 信繁はその昌幸の精神を受け継いだ形であり、大坂冬の陣でも夏の陣でも味方を勝利に導くような方策を次々と打ち出すという描き方がされていました。
 「真田丸」では、大野治長が戦場に持ってきた千成瓢箪の馬印を持って大坂城に引き返すのを機に、それまで優勢だった豊臣方が劣勢になるという描き方がされていましたが、この点について、丸島和洋氏の「真田四代と信繁」(平凡社新書)には、次のように記されています。
 「秀頼の出陣は見送られていたが、治房は秀頼の馬印を持って出陣したという(『イエズス会日本年報』)。たしかに、馬印が出ていれば、みな秀頼自身が出馬したと考えるに違いない。士気を高める上では十分である。
 しかし、治房は、やはり秀頼自身が本当に出馬しなければ決定打にならないと考えたらしい。その協議をするために、大坂に帰城しようとした。問題は、治房が一人で戻ればよいものを、率いてきた軍勢そのものを反転させてしまったことである。これが大坂方には、豊臣秀頼が自分たちを見捨てて敗走しているように映ってしまったらしい。さらに、大坂城で火の手があがっていたことも、敗北の象徴のように映った。治房の行動は、士気を高めるどころか、大坂方の戦意を失わせてしまったのである。
 イエズス会宣教師は、これが勝敗を逆転させるきっかけとなったと記す。ということは、意外にも、大坂方は夏の陣でも優勢であったと認識されていたのである」と。
 「真田丸」の描き方は、「イエズス会日本年報」を基にしていることがわかります。もっとも、治房が兄の治長に変えられていることなどの違いはありますが。「イエズス会日本年報」の捉え方も、大坂方は最初、優勢だったということであり、それは日本側の史料とも一致しています(丸島氏の同書では、「薩藩旧記雑録後編」(島津家史料)の記述が取り上げられています)から、事実とみなしていいのではないでしょうか。

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