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zoom RSS 大河ドラマ探訪469 「真田丸」136 九度山探訪4 抜け穴と伝わる真田古墳・さまざまな抜け穴伝説

<<   作成日時 : 2016/12/30 11:26   >>

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 写真は真田の抜け穴と伝わる、九度山の真田古墳を撮ったものです。真田昌幸・信繁が住んでいた真田庵から東へ170メートル行ったところにあり、かつては信繁はこの抜け穴を使って大坂に行ったと言われていましたが、実際は古墳の入口であることが確かめられました。
 しかし、信繁ゆかりの場所には、「真田の抜け穴」と伝わるものがいくつかあり、これも信繁の活躍から生まれた伝説(真田ならそういう抜け穴を作っていたのではないかという)の一つです。
 2013年9月13日付の拙ブログ記事で、やはり、「真田の抜け穴」と云われる、上田城跡公園内にある真田神社裏手の真田井戸の写真を貼付し、その「真田井戸」についての、上田・城下町活性会発行のマップ「上田城」の記述を紹介しました。
 すなわち、「城内唯一の大井戸でもあった。この井戸からは抜け穴があって、城の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも通じていたとの伝説もある」と。
 またその時の記事には、大阪の三光神社の境内にある、大坂城に通じていたと云われている、「真田の抜け穴」についても触れました。すなわち、この穴は実際は途中で行きどまりになっており、また他にも大坂城周辺にかつてはあった十数ケ所の「真田の抜け穴」と云われるものがある(「大阪史蹟辞典」)ものの、「いずれも徳川方が大坂城に向けて掘った穴の跡と思われる」と、橋場日月氏の「知れば知るほど面白い 人物歴史丸ごとガイド 真田幸村」(学研)に記されていると。
 それに関して、桂米朝さんの「米朝ばなし 上方落語地図」には、真田山には「真田の抜け穴」と称するものがいくつかあること、今でも大阪市内の住宅地の下のあちこちに空洞があることなどが記されています。
 天王寺一帯の抜け穴伝説について、「歴史人 真田幸村と大坂の陣」(KKベストシリーズ)の「『真田幸村』生存伝説の真相に迫る!」(監修・文 楠戸義昭氏)の中で、次のように記されています。
 「産湯稲荷神社に玉之井という井戸があり、付近に坑道が昔あって真田の抜け穴といわれた。真光院には洞穴があり、大坂城まで続いていたとされる。また安居神社の稲荷を祀る祠の石垣に穴があり、そこから茶臼山にいた家康を攻めたとの話も伝わる」と。
 これらの話も、大坂の陣の信繁の奮戦から、後付けされたものでしょう。安居神社の話は、信繁がそこで亡くなったことを前提にして成り立つもので、戦死したのが勝鬘院だとする丸島和洋氏の見解が正しいとするなら、話が違ってくるような気がします。
 

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