関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1805大河ドラマ探訪470 「真田丸」137「三谷幸喜のありふれた生活・伏線を張る」

<<   作成日時 : 2016/12/31 13:10   >>

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11月17日の朝日新聞に掲載された「三谷幸喜のありふれた生活」の「伏線を張るということ」は、文字通り「伏線」について説明されているのですが、その中で、「真田丸」の三成のことも触れられています。
 すなわち、「石田三成が細川忠興に、干し柿を進呈するシーンがあった(これを柿Aとする)。実際に伝えられているエピソードを基に書いたのだが、三成には、柿に関する話が、実はもうひとつある。処刑される直前に、差し出された柿を、お腹を壊すといけないので断る有名なエピソードだ(これを柿Bとする)。柿Aを観た人の中に、柿繋がりで、これはきっと柿Bの伏線に違いないと思った方がいた。結局ドラマでは柿Bは登場しなかった。柿を伏線と思っていた人は、当然、がっかりし、作者は伏線を回収出来なかった、と考えたようだ。
 しかしそれは違うのです。回収されなかった伏線は、回収されなかったのではなく、最初から伏線ではなかっただけのこと。『回収されない伏線』というものは、理論上存在しない」と。
 私も伏線になるのではないのかと思った一人ですが、そうではありませんでした。関ヶ原の戦いも三成が捕われた場面もなく、処刑される場面があっただけですから、うがった見方をすれば、そういう具体的な場面を描かない代わりに、忠興に干し柿をふるまう場面を視聴者サービスとして出してきたという気がします。
 そういうことで云えば、「真田丸」では、三成が腹痛を起こす場面が何度かありましたが、これは関ヶ原の戦いの際中か後に腹を壊したという話に基づいているのでしょう。司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」(新潮文庫)では、大垣から関ヶ原に移動する最中に、腹を壊していたというふうに描かれていますが、一次史料でそれが確かめられるわけではありません。一次史料ではありませんが、「常山紀談」には、三成が捕まった時に吉政に対して腹を壊しているので韮雑炊をふるまってほしいと言ったという話が残っていますし、三成が潜伏していた古橋村では、その話から腹痛の時には韮粥を食べるようになったと云います(オンライン三成会編『三成伝説』【サンライズ出版】にも記載があります)。そういうことからすると、三成が捕まった時には、腹を壊していた可能性は高いように思われます。
 「真田丸」で描かれていたように、三成が普段からお腹が弱かったこともありえないことではないという気もします。三成は骨格が華奢で優男だったということもありますし、奉行という仕事に忙殺されてストレスがたまったのではないかとも思われるからです。
 私は子供の頃からよく腹を壊し、医者からも過敏性大腸炎という診断を受けたこともありますが、三成もそうではなかったかという思いを持ちます。もっとも、三成がそういう病を抱えていたのではないかという見解を誰かがすでに出していたような記憶もあります。このあたりはあくまで印象的な話であり、実証的な裏付けが必要ですが。
 

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