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zoom RSS 石田三成の実像1815 堺めぐり1 三成と南宗寺を再建した沢庵、大仙公園の茶室、行長ゆかりの松

<<   作成日時 : 2017/01/10 11:26   >>

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 写真は堺の南宗寺の拝観入口(入って右に行ったところに受付があります)を5日に撮ったものです。今回は残念ながら、時間の関係で中の拝観はしませんでした。私は今までに何回も拝観しています。
 南宗寺は、大坂夏の陣で焼け、沢庵和尚が再建しました。沢庵和尚は三成と親しく、三成が奉行職を解かれて佐和山に隠居後、母の菩提を弔うために佐和山に瑞岳寺を建立した時、春屋宗園らと佐和山に赴いていますし、三成が処刑された後、宗園と共に三成の遺骸を大徳寺三玄院に引き取って手厚く葬っています。
 南宗寺には千利休一族の墓、家康の墓と称するものなどがあります。寺伝によると、家康は大坂夏の陣で死んだとされ、それが証拠に徳川秀忠も家光も南宗寺にお参りしていると伝えられています。
 5日は青春18切符が2回分残っていたので、妻と堺に行ってきました。堺と云えば、大阪府立堺工業高校に8年間勤めていた懐かしい場所ですし、在職中はむろんのこと、その後も、与謝野晶子、千利休、三成、小西行長関連でゆかりの場所を何回か訪ねましたが、妻にとってはほとんど馴染みのないところなので、自分が案内する形になりました。
 もっとも、時間の関係で、かつて自治都市だったところの堺の中心部の南半分しか、今回は回れませんでした。自治都市だったところを中心として回るなら、阪堺電車、もしくは南海電車を利用するのが便利です。JRならかなり歩かねばなりません(バスに乗るという方法もありますが)。
 われわれはJR百舌鳥駅で降りて、大仙古墳・大仙公園を見て、堺工業高校(現在は堺工科高校)の前を通って、御陵通りに出て西に向かって歩きました。自治都市をかつて囲んでいた堀の跡である土居川(ここが南端)を渡って南宗寺の境内などを見て北上し、宿院の千利休屋敷跡を見た後、今度はフェニックス通りを逆に東に歩き、JR三国ヶ丘駅から戻るというコースを辿りました。
 まず大仙古墳のそばのレストランで食事をしましたが、豆乳うどん(大根、人参、ゴボウなどいろいろな野菜が入っていてヘルシーでしたし、くせのないおいしい味でした)とちらし寿司のセットを食べました。このレストランもかつて何回か利用しました。
 大仙公園では武野紹鴎像、千利休像、堺市茶室「伸庵」(中に気軽にお茶を楽しめる立礼席があり、自分もいただいたことがありますが、今回は時間の関係でパスしました)「黄梅庵」、小西行長公ゆかりの松(行長がかつて領主を務めた宇土市から贈られたもの。堺工業に勤めていた時は毎日のようにこの松のそばを通りました)などを見ました。
 南宗寺の境内では、山門の甘露門、海会寺(元はもっと北の開口神社あたりにありましたが、やはり大坂夏の陣で焼け、南宗寺の寺域に再建されました)を見て、宿院にある千利休屋敷跡まで阪堺電車の道沿いに北に向かって歩きました。「かん袋」のくるみ餅を食べたかったのですが、あいにく正月休み中で、これも銘菓である「小島屋」のけし餅を土産に買って家で味わいました。堺は茶道の町なので、和菓子屋さんがたくさんあります。

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