関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1819 中野等氏「石田三成伝」1三成の鷹マニアぶりを示す、中納言宛の書状をめぐって

<<   作成日時 : 2017/01/14 11:23   >>

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 中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、文治派とされる三成の姿を見直すものとして、三成が鷹マニアだったことを示す、某中納言宛の三成書状が最初に取り上げられています。この書状については、中井俊一郎氏
の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)で触れられており、中野氏の同書の参考文献でも、中井氏の「石田三成からの手紙」が挙げられています。
 しかし、中納言が誰であるかについて、中井氏が織田秀信としているのに対して、中野氏は上杉景勝としています 。その理由については、中野氏の同書では示されていません。ただ、文中にある「城州」について、直江山城守兼続のことだとされています。
一方、中井氏が、中納言が景勝ではない理由として挙げられているのは、「三成が景勝に対してこのようなくだけた書状を書くというのも考えにくい」という点です。反対に織田秀信だとする理由について、「秀信の祖父・信長は無類の鷹好きであるし」、「三成は秀信の湯治の世話をしているくらいだから、個人的な付き合いも深かったろう」という点が挙げられています。また「その場合、『城州』は織田家とも関係の深い山中長俊あたりと推測される。山中長俊であれば、鷹狩にも通じていたろう」と指摘されています。
 中野氏の見解も捨てがたいですが、もう少しその理由づけがほしい気がします。
 中野氏の同書では、この書状について、「三成は景勝に秘蔵の鷹を進上し」、「鷹に関するかなり細かな情報を三成は書き綴っている。さらに、これとはまた別の鷹を、景勝に貸し渡そうとしている」と記され、「書状全体から、三成のとても楽しそうな様子が伝わってくる。公務を離れてお気に入りの鷹を愛で、愛好する鷹狩りに興じる三成の姿が想像される」と述べられています。
 中井氏は、この書状には、三成の性格がよく現れていると、次のように指摘されています。
 「政務で見せる細かさと几帳面さは、趣味の世界でも共通しており、この辺は三成の性格の大きな特徴といえるだろう。ともかく自分の考えを細かく書き、相手の理解を求めようとしているのである」と。
 この中納言が誰かについては、今後も検討が加えられるでしょうし、研究の成果に期待したいところです。
 なお、中納言について思い出すのは、宇喜多秀家の妻であった豪姫が、関ヶ原の戦いの直前、秀家の無事を祈って長谷寺に奉納した願文の中に、「中納言のことをお願いしますが、世の中に中納言様はたくさんおられますので、秀家という名前です」というような内容の文言があり、わざわざ秀家という名前を出し、仏さまが他の中納言と間違えないようにとことわっています。そこに豪姫のいじらしさがうかがえますが、彼女の願いはかなわず、秀家は敗れ命は助かったものの、やがて八丈島に流され、その後、二人は永遠に会えませんでした。

 

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