関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 石田三成の実像1809 司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」の描き方の問題点4 いくさのことを知らない三成?

<<   作成日時 : 2017/01/04 18:50   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」(新潮文庫)では、三成の相手として初芽が出てきて、二人の関係も小説の重要な軸となっています。それはよいのですが、三成の妻子は登場しておらず、その点に不満を覚えます。映画「関ヶ原」でも、原作通り、妻子は登場しないのでしょうか。
 もっとも、小説が書かれた時点では、三成の妻子のこと(正室との間に三男三女があったこと。側室については、今でもあまりよくわかっていません)については司馬氏はよく把握していなかったのかもしれません。妻子のことを精力的に調べられたのが故白川亨氏でした。
 三成の妻子のことがわかってからも、2009年に放送された大河ドラマ「天地人」でも、三成の妻は登場せず、「関ヶ原」の初芽を彷彿とさせる、長澤まさみさん演じる初音が登場し、初上洛する上杉景勝・直江兼続を金沢で出迎えていました(実際に出迎えたのは三成です)し、奉行職を解かれて佐和山に隠居している三成を兼続が訪ねた時にも、三成の妻は出て来ず、初音が三成・兼続に同席していました。
 小説「関ヶ原」の問題点の第六として、嶋左近は戦いのことをよく知っているのに対して、三成はそれを知らなかったという捉え方がされていることです。左近が進言する家康暗殺や左近・宇喜多秀家が主張する、東軍が陣を置く赤坂へ夜襲をかけることに首を縦に振らないのも、三成は正々堂々と家康と戦いを挑みたかったという理由づけでした。
 三成が正々堂々と戦おうとしたという点については、この小説の影響で、私も素朴にそう信じていた時期がありますが、それは三成が義を何より重んじており、家康相手に義の戦いをしたいという思いを持っていたからだと考えたからでした。しかし、それは裏返せば、戦いを知らないということに通じていますから、実際の三成はそうではなく、いくさの何たるかを知っていた人物であり、この小説の三成観は一面的に過ぎる印象を今では持っています。
 三成は官僚という面だけで捉えられがちですが、的確な戦略眼を持っていたことは朝鮮半島での碧蹄館の戦いを勝利に導いたことでもわかりますし、その点はかねてより中井俊一郎氏が指摘されています。もっとも、「関ヶ原」でも、左近が三成のことを「戦略家であっても戦術家ではない」と嘆息する場面がありますが、具体的な戦い方は知らないという意味で使っているのでしょう。しかし、三成は朝鮮半島で戦争の様子をつぶさに見て、このままでは日本人は一人もいなくなるだろうと、戦いの状況を的確に判断していましたし、幸州山城の戦いに加わり負傷もしています。
 しかし、いくさ上手の左近、いくさ下手の三成という構図が、この小説で出来上がり、それが未だに尾を引いている気がします。
 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
石田三成の実像1809 司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」の描き方の問題点4 いくさのことを知らない三成? 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる