関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像1845 白峰旬氏「イエズス会日本報告集における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察」11

<<   作成日時 : 2017/02/10 15:10   >>

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白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中で、反家康勢力の連携についての「1599年〜1601年、日本諸国記」(『 十六・七世紀イエズス会日本報告集』)の記述が紹介されていますが、その続きです。
 「彼らは内府様に自らの領国に留まるようにとの伝言を送り、幼君秀頼様に対し、またその父君太閤様の命に背き犯した数ヵ条の罪状をつきつけた。
 この同盟に参加していた者たちの重立った者は、(小西)ドン・アゴスチイノ(行長)と、その親友(石田)治部であった。両名は非常な勇気と智略に富み、太閤様から賜った大いなる恩義を感じていた」
 ここでの三成の評価は高いものがあります。これは、三成と親しい小西行長がキリシタンであったためでしょうか。これに対して、拙ブログで前述したように、ルイス・フロイスの「日本史」での三成に対する見方はひどいものです。中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)でも引用されているように、三成は「関白殿の家臣であり、関白の暴政を快しとしないジョウチンの大敵でもあり、キリシタンの敵でもあって、嫉妬深く、野心家で傲慢であり、その他においても悪徳に満ちた人物である」と記されています。
 「ジョウチン」とは小西立佐のことであり、行長の父です。三成と同時期に堺奉行になりましたが、立佐のことはいいように描かれているのに対して、三成の描き方は散々です。三成はキリシタンを弾圧したようにフロイスの「日本史」では描かれていますが、本当にそうなのかは検証する必要があるように思えます。二十六聖人殉教事件の際に、三成が犠牲者をできるだけ少なくしようとしたという姿勢と違い過ぎるからです。
 それはともかく、「日本諸国記」の「内府様に自らの領国に留まるようにとの伝言を送」ったという記述について、白峰氏の同論考には、次のように指摘されています。
 すなわち、「日本側の史料には見られない点であり」、「豊臣政権から家康に対して江戸に留まるように、と命じていたとすると、家康が8月中は江戸から動けなかった理由が明確に理解できる。その意味では、家康は江戸から動かなかったのではなく、動けなかったということになる。また、上杉討伐中止の理由として、このことに関連付けて考えることも可能であろう」と。
 家康にそういう伝言を送ったのは事実か、あるいは、イエズス会側の事実誤認なのか、今後明らかにすることが求められます。

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