関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 旅行記88姫路・赤穂旅行2 姫路城2 藩主の変遷・落語探訪2 「皿屋敷」お菊井戸

<<   作成日時 : 2017/02/19 12:58   >>

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写真は姫路城の本丸(備前丸)広場から見た天守閣を11日に撮ったものです。天守閣から外の本丸広場に出ました。
 現在の姫路城を作ったのは、関ヶ原の戦いの後、城主になった池田輝政でした。慶長6年(1601)から8年をかけて築城しました。それまで秀吉が築城した3層の天守閣がありましたが、それを壊して、新たな城として築かれました。池田輝政は関ヶ原の戦いの前は、三河吉田15万2000石の城主でしたが、戦後大幅加増され、播磨姫路の52万石の城主になりました。しかし、池田家は三代目の光政の時代になって、因幡鳥取藩に転封になり、減封されました。
 代わって、姫路城に入ったのが、本多忠勝の嫡子の忠政でした。その子の忠刻のもとに、千姫が再嫁したわけですが、化粧料として10万石が加増されました。その化粧料で作られたのが、西の丸の化粧櫓だと云われています。化粧櫓で千姫が休息したということを拙ブログ記事で述べましたが、千姫は朝夕に百間廊下から男山千姫天満宮(現 男山八幡宮)を拝んでいたといわれています。
  池田輝政は、外様大名ながら、家康の娘を妻にしており、徳川家との結びつきは強いものがありましたが、三代目ともなると縁が薄くなり、幕府としては譜代大名を姫路に配したかったのだと思われます。
 本丸(備前丸)広場から下りた二の丸の一角に「お菊井戸」があります。ここが「播州皿屋敷」の舞台の一つと言われています。上方落語に「皿屋敷」という出し物があり、「播州皿屋敷」の話を題材にしています。落語では、侍女のお菊が富山鉄山に言い寄られたものの、頑として言うことを聞かなかったために、鉄山は可愛さ余って憎さ百倍になったあまり、お菊に預けた皿の一枚を盗み出し、皿が足りないと言ってお菊を折檻し、お菊を井戸に投げ込んだことから、それを恨んだお菊が幽霊となって現れる話になっています。最初は怪談噺であり、井戸から出るお菊の幽霊を長屋の住人たちが見に行こうというところから笑いの要素が出てきて、お菊が皿の数を「一枚、二枚」と数え、それを最後まで聞かずに逃げ出すと、命に別条がないことを知って、それで味をしめ、毎晩、美人のお菊の幽霊を見に行くことになるという展開になっていきます。
 「皿屋敷」は桂米朝さんも桂小文枝(五代目桂文枝)さんも演じ、それぞれに味わいの違いがあってどちらも好きですが、お菊を色っぽく演じていたことでは、三代目桂春団治さんが最高でした。
 「皿屋敷」のオチもよく効いています。
 もっとも、「皿屋敷」の話は各地に残っており、江戸の「番町皿屋敷」も有名です。
 

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