関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1842 旅行記85 有馬温泉3 石垣、帯曲輪跡・秀吉の湯殿御殿跡・ねね邸跡・有馬籠

<<   作成日時 : 2017/02/07 22:01   >>

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 写真は温泉寺の近く、極楽寺の「太閤の湯殿館」のそばの「石垣・帯曲輪跡」を3日に撮ったものです。その説明掲示板には次のように記されています。
 「石垣は、自然石(割ったり削ったりしない石材)だけを用いる野面積(のづらづみ)と呼ばれる石積みで秀吉の活躍した16世紀後半の天正〜慶長年間に見られる特徴的な石垣づくりの技術です。石垣の上は帯曲輪と呼ばれる幅の狭い平坦面になっており、周囲には多聞塀と呼ばれる長屋づくりの塀や、隅の部分には隅櫓状の建物の跡が確認されています」と。
 石垣の反対側には、豊太閤の五輪塔が建っています。「太閤の湯殿館」は、秀吉が作った湯山御殿の遺構の上に作られた博物館です。遺構が発見されたのは、阪神・淡路大震災後のことであり、被害を受けた極楽寺の庫裏(くり)の床下から出て来ました。
 極楽寺を創建したのは、聖徳太子と伝えられ、594年のことと云われているので、1500年余りの歴史があることになります。もっとも、現在の極楽寺は天明2年(1782)に再建されたものです。寺宝の厨子は、徳川綱吉の生母である桂昌院が寄進したものです。
 極楽寺の近くには、念仏寺が建っており、ここはねね(北政所)の別邸だと言われています。そのそばには、「太閤秀吉・北政所館跡(太閤小城)」碑が建っています。小城というのにふさわしく、石垣も帯曲輪も隅櫓らしきものも御殿も備えた本格的な建造物があったことがわかります。三成も秀吉に仕えて、このあたりに足跡を残していたはずです。
 念仏寺を少し下ったところにある、「ねがいの庭」には、温泉寺を創建した行基の像が建っています。そこには、「有馬温泉の歴史」について説明されたプレートも付いていますが、631年には舒明天皇が、647年には孝徳天皇が御幸したという記述が、「日本書紀」にあることも記されています。
 この後、銀の湯の前を通りましたが、このあたりは寺田町と呼ばれ(寺社が多く立ち並んでいることから)、通りのあちらこちらに、魔除けのための、さまざまな鬼瓦が置かれていました。鬼瓦は念仏寺にあったものでしたが、阪神・淡路大震災の時にずり落ちてしまい、それがこういう形で復活したわけです。
 さらに坂を進んで、有馬籠の店「くつわ」をのぞきましたが、いろいろな竹の工芸品が売られていました。有馬温泉の観光マップには、千利休や秀吉の命を受けて作られた茶籠の資料が残っていることが記されています。また「くつわ」のホームページには、「本願寺の『顕如上人貝塚御座所日記』をひも解くと、天正13年(1585年)9月13日、有馬に入湯した顕如上人が、豊臣秀吉公の正室 北政所(寧々)に“有馬籠”を贈ったと記されてい」るということが掲載されています。ここも秀吉やねねにゆかりのある場所なわけです。


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