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zoom RSS 白峰旬氏「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における軍役人数の記載について」5 朝鮮出兵3

<<   作成日時 : 2017/04/19 09:37   >>

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 白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における軍役人数(兵力数)の記載について」(『別府大学大学院紀要』第18号所載)の中で、朝鮮出兵に関して、小西行長は1万5000人の兵力数と記されているのに対して、「3月13日付の『陣立書』の軍団構成」(中野等氏『文禄・慶長の役』【吉川弘文館】所収)には、7000人とあって、数字に大きな違いがあります。
 この点に関して、白峰氏の同論考では、「十六・七世紀イエズス会日本報告集」の記載をもとに、「小西行長が先陣であったため」、九州の部将の中では「最も多い1万5000人の兵力数を動員したと考えられる」と指摘されています。
 この数字については、「小西行長は熱烈なキリシタン大名であり、イエズス会と密接な関係があったことを考慮すると」、「一定の信憑性があったと考えることができよう」と記されています。
 白峰氏の同論考では、「十六・七世紀イエズス会日本報告集」の兵力数の軍役基準が、諸将別に表にして掲載されていますが、行長の場合は1万人につき750人と記され、島津義弘の129人とは格段に高いことがわかります。このことについて、「軍役基準が高い部将は、実際の軍役基準はもっと低かった可能性があり、その実際の軍役基準以上を動員したケースであったと考えられる。なお、計算上、無役高を考慮していないため、無役高が個々に判明すれば、兵力数の軍役基準も計算結果も変わってくることになる」と記されています。
  中野氏の「文禄・慶長の役」には、「文禄二年五月二十日付の豊臣秀吉朱印『覚』による布陣計画」が掲載されており、「もくそ(晋州)城取り巻き人数」が表に上がっていますが、小西行長は「7415人」と記されています。もっとも、その後に「宗義智」「松浦鎮信」「大村喜前」「五島純玄」「有馬晴信」の名が並べられており、この人数が彼らを含めた人数かどうかは判然としません。もっとも、この一群の合計人数が52000人とあり、「長谷川秀一」「細川忠興」「昌原十一衆」「浅野長政」「浅野長晟」「豊臣秀勝勢」「伊達政宗」「黒田孝高」らの人数と「小西行長」の人数と合わせても「26182人」となり、半分ぐらいにしかなりません。行長の兵力がもっと多かったという可能性もありますが、そうでなくても前年の3月13付の「陣立書」からは人数が増えていますから、単純に考えても増員されていることは確実であり、1万5000人の兵力があったというイエズス会側の記載も否定できません。
 このあたり、行長の実際の兵力は、どうであったのかは今後の研究課題だと思われます。
 なお、「文禄二年五月二十日付の豊臣秀吉朱印『覚』による布陣計画」には、三成の名があり、一備として「1646人」と記されています。

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