関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1934 中野等氏「石田三成伝」46 北条攻め10 忍城攻め3 

<<   作成日時 : 2017/06/07 10:18   >>

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 中野等氏「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、忍城攻めについて、「忍の攻城戦は、秀吉軍の圧倒的な物量作戦・組織力を見せつけるためのデモンストレーションであったと見るべきであろう」と記されています。
 こういう見解も、中井俊一郎氏によってすでに唱えられており、その点も中野氏の同書で、一言言及があってしかるべきではないでしょうか。中井氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)には、次のように指摘されています。
 忍城の水攻めについて、「多額のコストと労力を必要とするものであ」り、秀吉が水攻めにこだわった理由として、「秀吉の政治的効果を狙った演出、一種のパフォーマンスではないか」、「地形をも変えうる力をもつ秀吉の姿を、坂東平野の人々の目に焼き付けることのみが目的だったのではないだろうか」と。
 中井氏の同書では、6月13日付三成書状を論拠に、三成は「水攻めよりももっと強硬な城攻めを主張」し、「水攻めに批判的」だったとも記されています。「無理な要求を上司から突き付けられた三成」でしたが、結果的に「秀吉の要求」に従ったのは、「秀吉の信頼に応えたいという思いとともに、三成が秀吉の狙った政治的目的を理解したからではないだろうか」と記され、その一方で、「三成は、この後、さらに秀吉との考えの違いに苦悩することになる」とも記されています。「考えの違いに苦悩する」というのは、具体的には朝鮮出兵がそれに当たりますし、三成は朝鮮出兵に反対の立場でした。
中野氏の同書には、三成が水攻めにおいて果たした役割について、「築堤用の資材や陣夫を管理し、物量作戦を指揮するうえで、三成という存在は格好の主将であったともいえよう」と記されています。
 中井氏の同書には、いかにこの築堤工事が大規模だったものか、その労力と費用が具体な数字を挙げて示されています。すなわち、「仮に堤の全長を14kmと仮定した場合、必要となる土砂の量は70万㎥となる。旧陸軍の基準に照らすとこの規模の土木工事は、築堤だけで約46万人日、すなわち1日1万人の人が働いたとして46日かかる工事量という計算になる。三成は近郷から10万の人間を集めてこの工事をさせたとされているが、それに払う費用を軍記物の記載通り、昼60文と米1升、夜百文と米1升とすると、米価換算で約百三十〜二百億円となる」と。
 三成は九州攻めの際、大軍の兵站奉行を務め、また後に文禄の役の際、舟奉行として、大軍勢を朝鮮半島に送りましたから、忍城水攻めの大掛かりな築堤工事も可能だったのかもしれません。
 また中井氏の同書には、三成と共に忍城攻めを行った大谷吉継・真田昌幸・多賀谷重経・佐竹義宣らが関ヶ原の戦いにおいて三成寄りだったことも指摘され、忍城の水攻め失敗は三成の責任ではなかったことの証として挙げられています。

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