関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1993 中井俊一郎氏の講演「石田三成ー事績と書状からみるその人柄ー」1

<<   作成日時 : 2017/08/07 12:24   >>

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写真は昨日は米原の大原観音寺で、「三成会議」の企画の一環として行われた、「戦国無双」タクシーの出陣式の後の関係者、招待客の全体写真を撮ったものです。出陣式には、三成タクシーをはじめとする「戦国無双4」の武将キャラクターをラッピングした10台のタクシーが集まりました。 、その後歴史講座としてオンライン三成会代表幹事の中井俊一郎氏の講演「石田三成ー事績と書状からみるその人柄ー」、中井氏と同じくオンライン三成会会員である田附清子氏との対談が観音寺の本堂で行われました。狭い本堂に百名程の人が集まり、暑い中、熱心に聴きいっていました。
 観音寺は三成が秀吉に見いだされるきっかけとなったとされる、秀吉に三度茶を差し出したという、いわゆる「三献茶」の舞台となった寺と云われています。もっとも、その寺は古橋の法華寺だったという説もあるのですが、「三献茶」の話自体、江戸時代の書物に出てくるもので、虚構かもしれません。中井氏はこの話が事実としたと仮定した場合とことわった上で、それは観音寺であったのではないかと述べられていました。秀吉は観音寺のそばの横山城の代官となっており、観音寺の有力な檀家であった石田氏との関係がその時から生じたのではないかという根拠が゜挙げられていました。
 中井氏の講演は書状などの一次史料や行動を取り上げることによって、三成の実像に迫るもので、説得力がありました。三成の人柄として、「真摯」「公正」「緻密」「果断」ということが指摘され、それぞれについて、その根拠を挙げながら説明されていました。
 「真摯」という点については、「自分を曲げない筋を通す態度」と説明され、「甫庵太閤記」にある秀吉が三成のことを「諫(いさめ)については我が気色をとらず」と言ったという記述が取り上げられていました。すなわち、三成が秀吉に諫言する時には、秀吉の機嫌を見て言うなどということはしなかった(秀吉の機嫌にはかかわらず諫言すべき時には恐れず諫言した)と。
 「真摯」さを示す書状として、一つは文禄元年(1592)に書かれた漢城三奉行(増田長盛・大谷吉継・三成)連署状であり、明国へ乱入することは不可能で、朝鮮国内は静謐ではなく、年内は朝鮮国内を治めることが肝心だと述べ、このままでは「日本人は無人になってしまう」とまで言っています。朝鮮情勢の「ありのままを伝える」ものですが、秀吉に処分されかねない内容です。
 もう一つは、天正18年(1590)の忍城攻めの方針に対して、当時の上司である浅野長政に宛てた、その方針に対して批判する内容の書状です。「城攻めの諸将は水攻めと決めてかかっているので、攻め寄せる気がありません」「まず攻め寄せるべきでないでしょうか」などと記されています。水攻めにするのは三成が考えたことではなく、秀吉の方針だったということも指摘されていました。
 

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