関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2228「特別研究集会」19 十文字健氏報告「郡山城天守台からみえる豊臣期の築城の様相」2

<<   作成日時 : 2018/03/31 11:01   >>

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 写真は昨年12月に郡山城の天守台を東側から撮ったものです。整備もきちんとされていて、見晴らしもよく効いていました。数年前に訪れた時には立入禁止で、天守台の様子は何もわかりませんでしたが、今はいい観光スポットになっています。その時は写真は、フェイスブックの方で、多数載せています。

https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7

 さて、「織豊期城郭研究会in佐和山 特別研究集会」の、十文字健氏の報告「郡山城天守台からみえる豊臣期の築城の様相」の中で、天守台について発掘調査を含めて詳細な報告がされていました。
 天守台の構造について、「特別研究集会資料集」には次のように記され、報告でも同様のことが述べられていました。
 「天守台は城の中心部に位置する本丸の北端付近につくられている。南面の東寄りに付櫓台を付す複合式の形態をとる。天守台本体は上辺18×15〜16メートル、下辺25〜23メートルの長方形の平面形で、高さ約8.
5メートル。付櫓台は南北11〜17メートル、東西22メートル、高さ4.5メートルで南面の西寄りに張り出しがある。付櫓台平面積は天守台本体と同規模で、城内の他の櫓台にこれに匹敵する規模のものはない。(中略)
 天守台の石垣は主に自然石からなる。隅角部には割った後未加工の長大な石を用いる。算木積みを呈するが、角脇石が他の築石と区別されないなど未発達な様相がみられる。また、石垣の石材に石仏や寺院の礎石などの転用石材が多数認められることも特徴である。『逆さ地蔵』や『伝・羅城門礎石』などが特に有名」などと。
 上の写真の向かって左側が付櫓台、右側が天守台です。
 石垣に転用石材が多数認められるのは、佐和山城の石垣でも同様であり、佐和山城の石垣が使われていることがわかった彦根城の鐘の丸でも、転用石材が使われています。豊臣期の石垣の特徴の1つです。
 天守については、平成26年に行った発掘調査によって、礎石などの天守に関わる遺構を確認したことによって、実在したことが明らかになったと述べられていました。しかし、江戸時代の絵図には天守台が描かれていても建物はないことから、関ヶ原の戦いの後、解体され、その後、再建されることはなかったと述べられていました。

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