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zoom RSS 三成の実像2238 「特別研究集会」29 古川匠氏報告「聚楽第跡の発掘調査と表面波探査」4

<<   作成日時 : 2018/04/10 18:47   >>

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 今日、関ヶ原藤下の自害峰を訪ねてきました。高橋陽介氏は、ここに三成の本陣があったという新説を出されています。この新説については、拙ブログで以前取り上げましたが、今日のことは改めて詳述します。
 
 さて、「織豊期城郭研究会in佐和山 特別研究集会」の古川匠氏の報告「聚楽第跡の発掘調査と表面波探査」の中で、表面波探査の結果に基づいた考察の続きです。
 本丸のすぐ北にある北の丸を堀が囲んでいますが、その北ノ丸北堀跡が表面波探査によって確かめられました。すでに1998年度の発掘調査によって北ノ丸の北辺部で石垣が検出されていること、また北ノ丸北堀北側には現在も急激な段差が存在し、聚楽第を反映した地形と考えられてきたことも述べられていました。北の丸の西堀については、以前は智恵光院通が北ノ丸西限とする見解もあったものの、表面波探査によって、智恵光院通より西の部分まであることが判明したと説明されていました。
 北ノ丸を取り込んでいる堀のうち、南の堀は本丸の北堀になります。本丸が南北に長い長方形であることも表面波によって確定され、本丸北堀の北限は一条通で、堀幅は約40メートルであることも判明しました。「諸国古城図」の本丸北東部に土橋が描かれていて、この付近に50〜60メートルの範囲で地山が検出され、土橋の可能性が想定されると述べられていました。
 本丸をぐるりと取り囲んでいる東西南北の堀のうち、南堀、東堀、西堀については、これまでの発掘調査でほぼ確定されていたものの、北堀についてははっきりとはしていなかったものが、表面波探査によって解明されたわけです。
 本丸の西端は従来、南北方向の裏門通と推定されてきており、それは裏門通が聚楽第の裏門に由来する通名であることが根拠とされてきましたが、表面波探査によって裏門通は本丸西堀内に位置することが判明しました。
 西堀の南限は、下長者町通付近であり、東堀の南限も同様です。
 本丸北西隅に埋没する天守台跡だと推定されるものが確認されています。天守については、三井記念美術館蔵「聚楽第図屏風」など複数の絵画資料などに描かれており、今回の表面波探査によって確かめられたわけです。
 本丸南堀については、智恵光院通と日暮通の間の範囲が南に張り出しており、この範囲は発掘調査で本丸南面石垣が検出された地点が含まれており、発掘調査地点の東に本丸南門の存在が想定され、枡形虎口の輪郭である蓋然性が高いと説明されていました。ここに南門があった根拠として、発掘調査で石垣の石材は西から東に大型化する傾向が認められ、城郭では門付近の石垣に大型石材が選ばれることが挙げられていました。また日暮通が聚楽第の門に由来する通名であり、日暮門が本丸南門を指した蓋然性が高いということも指摘されていました。

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