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zoom RSS 三成の実像2256 「特別研究集会」38 乗岡氏「宇喜多秀家の備前岡山城」8 軒平瓦・軒丸瓦

<<   作成日時 : 2018/04/28 11:08   >>

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 写真は岡山城の中の段の表書院跡を撮ったものです。天守がある本殿御殿の西側にあり、その北西の隅に月見櫓が建っています。表書院は中の段を拡張して、江戸時代に作られたもので、宇喜多秀家期の石垣も二ヶ所、この下(階段を下りたところ) に展示されています。表書院の広さが改めてうかがえますが、はかつてどういう部屋があったか、それを記したプレートが地面に付いています。宇喜多秀家期の岡山城本丸の地図(『特別研究集会資料集』)には、中の段の礎石建物が記されていますが、規模が小さく、江戸時代(元禄13年〔1700〕)の岡山城本丸との図と見比べてみると、江戸時代には中の段が拡張され、表書院が建造され、さまざまな部屋があるのがわかりますし、現地を見ても広大な敷地です。
 さて、この3月に行われた「織豊期城郭研究会in佐和山 特別研究集会」の乗岡実氏の報告「宇喜多秀家の備前岡山城」の中で、前述したように、岡山城の瓦について、コビキA手法の瓦は文禄年間、コビキB手法の瓦は慶長半ば以降と説明されていました。このことに関して、水口岡山城でコビキBが使われるようになったのは、東櫓が造られた文禄4年以降だということ(長束正家が城主になった時期)が、小谷徳彦氏の報告「東海道の拠点城郭 水口岡山城」の中で指摘されていました。コビキA手法、B手法の瓦の製造時期については、城によって若干時期がずれているのが改めてわかります。
 乗岡氏の同報告の中で、岡山城の瓦のうち金箔瓦については拙ブログで前述しましたが、軒平瓦と軒丸瓦については、次のように述べられていました。
 「2式の軒平瓦は中心飾が多種多様で、三葉系統が4割、宝珠系が3割、桐文系が1割弱の比率で、その他には蔦葉・木槌・三巴などがある」
 「軒丸瓦の文様は、特殊なものとして五七桐文がある。串団子状の花をもち、金箔押しのものを含み、二又唐草の滴水系軒平瓦と組み合う。その他の圧倒的多数は、三巴文で、細かくみると軒平瓦同様に多彩である」などと。
 ちなみに、三成の居城であった佐和山城の本丸南斜面から桐紋の鬼瓦が発見されていますが、この周辺からは他に「右三つ巴紋軒丸瓦」と「中心飾三葉一転唐草軒平瓦」が採取されており、いずれもコビキBの瓦だということが、城郭談話会編「近江佐和山城・彦根城」(サンライズ出版)の中に記されています。これらの瓦が三成時代のものであるとするならば、コビキBが長束正家が城主になった文禄4年以降であったとする水口岡山城と一致します。

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