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zoom RSS 三成の実像2276 朝日新聞記事「異説あり 千利休切腹してない?」3 「キリスト教の所作に酷似」

<<   作成日時 : 2018/05/18 13:03   >>

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 14日付の朝日新聞朝刊の「文化の扉 歴史編」に「異説あり 千利休切腹してない?」という記事が掲載され、利休は切腹しておらず、九州まで逃げ延びていたという中村修也氏の見解が紹介されていました。その根拠の一つとして細川三斎が利休の息子の道安に豊前国で300石の領地を与えたことが挙げられていましたが、道安の本拠地は堺なので、実はこの領地は利休に与えたのではないかと推測されています。もっとも、それ以上のことは記事には記されていませんが、「追放後の利休の消息はわからない」と記事にありますので、利休の足跡や痕跡が豊前国や九州には残っていないと思われます。そのあたりの探索が今後必要でしょう。
 もっとも、記事には、追放後の利休について、「大名の細川家と交流があったことは間違いない」という中村氏の見解が載っています。利休が切腹せずに生きていたかどうか、今後のさらなる研究に期待したいと思います。
 その記事には、茶の湯の作法に、キリスト教の影響が色濃く投影されているという、武者小路千家14代家元の千宗守氏の説も掲載されています。その根拠として次のようなことが挙げられています。
 「一つの茶わんの同じ飲み口から客が茶を回し飲む『濃茶(こいちゃ)』の作法は、キリスト教のミサの際、イエスの血の象徴であるワインを杯に入れて回し飲みする様子をヒントに、利休が創始した可能性が高いと考えられる」
 「茶入れを拭く際の袱紗(ふくさ)さばきや茶巾の扱い方なども、聖杯を拭くしぐさなどと酷似している」と。
茶の回し飲みについては、三成と吉継の友情を語る有名な逸話があります。病を患っている吉継が口をつけた茶碗の茶をみんなが嫌がって飲もうとしないので、それを見るに見かねた三成が、その茶を一気に飲み干し、吉継はそれに対して恩義を感じたというものです。もっとも、これには異説もあって、茶を飲んだのは、三成ではなく、秀吉だという話もあります。この逸話は、司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」(新潮文庫)でも紹介されていますが、一次史料には載っていませんから、どこまで本当の話かわかりません。しかし、三成と吉継の友情を語るのに、欠かせない逸話になっています。
 茶の湯の作法にキリスト教の影響が色濃く投影されている背景として、「当時、堺は国際貿易都市で、宣教師たちが多く訪れ、キリスト教に触れる機会も多かった」という点が挙げられています。
 茶の湯がキリスト教の影響を受けていることについては、杉野栄氏の「京のキリシタン史跡を巡る」(三学出版)でも指摘されており、以前拙ブログでも触れたことがあります。その中で、千宗守氏が、「1994年、バチカンを訪ね、ローマ法皇ヨハネ・パウロ2世に謁見し、キリシタンたちが大事に使っていた茶の湯の棗(なつめ)の一品(今治の美術館にあったIHSの入った茶器の複製品)を贈呈」したことも記されています。

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