関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 三成の実像2286白峰旬氏「江上合戦についての立花宗茂発給の感状と軍忠一見状に関する考察」4

<<   作成日時 : 2018/05/29 15:35   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 白峰旬氏の「慶長5年10月20日の江上合戦についての立花宗茂発給の感状と軍忠一見状(合戦手負注文)に関する考察」(『別府大学大学院紀要』第19号所載)の中で、感状の「書止文言の書き分け(区別)について、書き分けの要因がそれぞれの家臣の石高の多寡に関係するものかどうかを検討するため、そして、江上合戦と大津城攻めの感状について、同一人物(宛所)の感状の書止文言を比較するために」表が作成され、それに基づいて次のような点が指摘されています。
 「立花宗茂発給の感状(江上合戦)の書止文言の書き分け(区別)は、家臣の石高に照応したものではな」いこと、「同一人物(宛所)の感状であっても、大津城攻めの感状の書止文言に比較して、江上合戦の感状の書止文言が薄礼になっている事例があったことがわかる」ことなど。
 後者の点については、その原因が次のように推測されています。
 「大津城攻めは、豊臣公儀の戦い(つまり公戦)であり、所領外の遠い場所に遠征したことに対して、江上合戦は公戦ではなく、所領内における戦い(つまり私戦)であった、という点に起因するのかもしれない」と。
 大津城攻めが、豊臣公儀の戦いだったというのは白峰氏の見解ですが、三成ら四奉行、毛利輝元・宇喜多秀家の二大老で形成された豊臣連合政権が、家康を排除するために、全国各地の武将を動員し、戦いを起こしましたから、公戦と言っていいものでした。
 三成が家康に対して挙兵したのは、大老の家康が上杉攻めを決行したことが、「『公儀』を騙って『私戦』を行う行為」であり、「非常に危険なものであると映ったからではないだろうか」と中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)で指摘されています。
 その一方で、中井氏の同書では、「三成らが決起したことは、日本中に新たな混乱と混沌を生み始め」、「諸侯は、みな勝手な行動をとり始めることにな」り、「豊臣政権の基本政策である惣無事令【そうぶじれい】(豊臣平和令)」による「政治体制を破壊し、戦乱の時代に戻してしまった」という点も指摘されています。
 このことは、白峰氏の「新『関ヶ原合戦』論」(新人物ブックス)の中で、関ヶ原の戦いについて、「マクロな意味で従来の通説的理解と異なる新しい視点」の一つとして、「関ヶ原の戦いの前後における国内の争乱状態を『私戦の復活』(惣無事令体制の崩壊)ととらえて、その点に歴史的意義を見いだしたこと」と記されているのと共通します。
 むろん、三成が目指したことは、惣無事令体制の維持であり、自分の決起によって、その反対の事態を招いてしまったことに、「暗澹たる思いがあった」と、中井氏の同書で指摘されています。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
三成の実像2286白峰旬氏「江上合戦についての立花宗茂発給の感状と軍忠一見状に関する考察」4  関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる