関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 三成の実像2290 番組「偉人たちの健康診断 石田三成」3 大垣大返しの時の活躍? 葦にかける税金

<<   作成日時 : 2018/06/02 11:29   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 NHKの番組「偉人たちの健康診断 石田三成」の中で、三成の計算能力の高さを示すものとして、賤ケ岳の戦いで味方を勝利に導いたことが挙げられていました。大垣から賤ケ岳まで52キロの距離を大返しする時、それを短時間で成し遂げるために、兵らに手ぶらで走らせ、重い武具は長浜城から15キロ離れた賤ケ岳まで運ばせ、夜明けには間に合わせました。さらに三成は先に出発して住民たちに松明を持たせ、道を明るく照らし、兵が走りやすいようにしました。こういうことが功を奏して、秀吉軍が柴田軍を討ち果たしたと説明されていました。
 番組では、「山の端から端まで無数の松明があった」という「太閤記」の記述が取り上げられていましたが、このことに関して、小和田哲男氏の「石田三成」(PHP新書)には次のようなことが記されています。
 「『志士清談』では、このとき先発隊として出陣し、兵糧・松明の用意を街道沿いの村々に命じたのを加藤清正としているが、このとき、加藤清正は秀吉本隊と一緒に移動しているので、清正ではありえない。湖北の土地勘のある三成以外には考えられないのである」と。
 要するに、三成がこういうことをしたというのは、小和田氏の見解に基づいていることがわかります。太田浩司氏も、小和田氏の独自の見解だと指摘されていましたが、小和田氏の見解は、今や広く知れ渡っている感があります。兵士が手ぶらだったとか、握り飯や松明を用意したとかいうことは、一次史料に記されていることではないので、どこまで真実かわかりませんし、三成が実際にこういうことをしたと断言できないのが本当のところです。むろん、大返ししたのは事実でしょうから、それを可能にするような何らかの工夫が加えられていたことは考えられますし、そういうことからいろいろと尾ひれがついたのではないでしょうか。
 賤ケ岳の戦いで、三成がしたことだと一次史料で確認できるのは、敵情を探らせたという諜報活動です。三成が称名寺に宛てた三成書状にそのことが記されていますし、この書状は太田浩司氏の「近江が生んだ知将 石田三成」」、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(共にサンライズ出版)で取り上げられています。
 番組では、秀吉が三成に五百石を与えようとしたところ、三成はそれを断り、代わりに淀川の葦に税金をかける権利をほしいと訴え、秀吉がそれを認めると。三成は葦でもうけたお金で一万石分の軍隊を整え、秀吉に貢献したという逸話を本郷和人氏が紹介していました。葦はゴザや屋根を葺く商品になり、それに目をつけた三成の思い付きのすごさに触れられていました。これもよく知られた話であり、司馬遼太郎氏の小説「関ヶ原」(新潮文庫)にも出てきますが、出典は「古今武家盛衰記」です。才知のある三成ならありそうな話ですが、三成が二十歳ぐらいの時のことだとしたら、秀吉はまだ淀川を領有しておらずこの話は成り立たないという桑田忠親氏の見解があります。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
三成の実像2290 番組「偉人たちの健康診断 石田三成」3 大垣大返しの時の活躍? 葦にかける税金 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる