関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 三成の実像2311「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」1 谷徹也氏「総論」1 腹痛の持病・柿が好物

<<   作成日時 : 2018/06/24 10:10   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)は、三成研究の最先端について記されていて、大いに勉強になります。付録には「石田三成発給文書目録稿」が掲載されていますが、三成が発給した文書を年代順に目録化したものであり、479通に及びます。こういう目録がほしいとかねてから思っていました。できれば、小西行長関係の文書などの本文を掲載した宇土市教育委員会発行の「小西行長基礎資料集」のようなものができれば申し分ないのですが。
 谷氏の「総論 石田三成論」では、「石田三成の人物像」「豊臣政権における石田三成」「領主・代官としての石田三成」「合戦における石田三成」に分けて、今までの研究成果が述べられています。
人物像の中で、三成の持病について、腹痛だったことが記されていますが、その根拠として二つの史料が挙げられています。一つは山中長俊宛ての三成書状であり、その書状について次のように解説されています。
 「筑前・筑後の蔵入地の村落統治に関するものと思われ、慶長3年7月から同4年正月までの間に発給されたと考えられる。書状で問い合わせをしてきた山中長俊に対し、『腹中気』のため臥せっており、意を尽くせないと述べている」と。
 秀吉が亡くなったのは、慶長3年8月ですから、その前後に書かれた文書になります。筑前・筑後は小早川秀秋の領地でしたが、越前に転封になり、三成が筑前・筑後の代官になっています。秀吉は筑前・筑後の領地を三成に与えるつもりでしたが、三成は辞退しています。
 もう一つは、三成宛ての上杉景勝書状の中にある「御腹中御煩由候、無申迄候へ共、御養生可被申候」という記述が挙げられています。
 また三成が度々体を壊していたことを示すものとして、真田信幸宛ての三成書状の記述も挙げられていますが、このことについては拙ブログでも取り上げました。
 これも拙ブログで紹介しましたが、NHKの番組「偉人たちの健康診断 石田三成」の中で、三成は過敏性腸症候群という病気になっていた可能性があり、三成は柿でおなかをこわすことを心配していたのではないかという見解が示されていました。お腹が悪かったという点では、この見解も谷氏の見解も共通しますが、違うのは、三成は柿が好物だったという見解を谷氏が示されていることです。その根拠として、次の点が挙げられています。
  すなわち、「三成は奥州下向中、横浜一庵(良慶)が柿百個を届けてくれたことに対して『拙者好物御存知候』と述べて感謝しているほか、美濃の長谷川勝五郎からも音信で枝柿を送られている」と。
 そうだとすると、三成が処刑される前、柿の差し入れを断ったという逸話について、再考する余地があります。むろん、この逸話自体、事実という保証はないのですが。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
三成の実像2311「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」1 谷徹也氏「総論」1 腹痛の持病・柿が好物 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる