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zoom RSS テーマ「日本文学探訪」のブログ記事

みんなの「日本文学探訪」ブログ

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日本文学探訪128 植村武先生の短歌のロシア語翻訳4 誤読の例・上田敏氏の名訳詩
 当時のソ連政府が発行した「世界文学シリーズ」の「日本詩歌集」の中に植村武先生の短歌が5首、ロシア語に翻訳されて掲載されており、短歌とロシア語翻訳がどのように違うかを拙ブログ記事で取り上げていますが、その続きです。 ...続きを見る

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2017/04/06 11:34
日本文学探訪127 植村武先生の短歌のロシア語翻訳3 一茶の土蔵の歌
 当時のソ連政府が発行した「世界文学シリーズ」の「日本詩歌集」の中に植村武先生の短歌が5首、ロシア語に翻訳されて掲載されており、短歌とロシア語翻訳がどのように違うかを拙ブログ記事で取り上げていますが、その続きです。 ...続きを見る

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2017/04/04 18:06
日本文学探訪126 植村武先生の短歌のロシア語翻訳2 野の煙の歌
 当時のソ連政府が発行した「世界文学シリーズ」の「日本詩歌集」の中に植村武先生の短歌が5首、ロシア語に翻訳されて掲載されており、短歌とロシア語翻訳がどのように違うかを拙ブログ記事で取り上げていますが、その続きです。 ...続きを見る

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2017/04/02 11:10
日本文学探訪125 植村武先生の短歌のロシア語翻訳1 海女の歌
  短歌の師である植村武先生との出会いは、中学生の時であり、先生は当時、文芸部の顧問をされていました(担当は国語)。私は最初別の部に入っていましたが、親友のF君に誘われて途中から文芸部に入部したのがきっかけでした。小説や短歌などの添削指導を受け、文学散歩、読書会に参加しました。中学卒業の時、部員は全員先生の第一歌集「凌霄」を祝いにいただきましたが、それが自分にとって大事な宝物になっています。  「凌霄」とは「のうぜんかずら」のことであり、「凌霄の志」とは「雲をしのいで高く上に出ることであり、... ...続きを見る

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2017/03/31 18:37
京都探訪192 「京の七夕」の「ちちんぷいぷい」のメッセージ行灯・西靖さんと柴崎友香さんとの対談
京都探訪192 「京の七夕」の「ちちんぷいぷい」のメッセージ行灯・西靖さんと柴崎友香さんとの対談  写真は「京の七夕」の堀川会場に展示されていたメッセージ行灯のうち、毎日放送の「ちちんぷいぷい」の出演者たちのメッセージが書かれた行灯を8月11日に撮ったものです。山本浩之さん、石田英治さん、西靖さん、河田直也さん、山中真さんがメッセージを寄せています。  「ちちんぷいぷい」はこの4月から本格的に見始めました。山本浩之さんを新たに司会役に迎え、4時間の枠になったことで話題を呼んでいましたし、実際、見てみると司会者も出演者も関西弁が主流で和みますし、何より関西の目線で番組が作られていることが気に... ...続きを見る

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2014/09/04 00:11
大阪探訪59 日本文学探訪113 梶井基次郎氏住居跡?靭公園のバラ園・梶井氏の子供時代の転居 
大阪探訪59 日本文学探訪113 梶井基次郎氏住居跡?靭公園のバラ園・梶井氏の子供時代の転居  写真は梶井基次郎氏の住居があったあたりを8月22日に撮ったものです。  大谷晃一氏の「大阪文学散歩」(保育社 昭和56年発行)には、「西区西本町1丁目8に、基次郎の家があった。釣具商屋ダンのあるところ」と記されています。その店は今はありませんが、同本に掲載されている当時の写真に、その店の隣りに「Kyowa Sangyo」と書いてあるビルが写っています。 上の写真に「共和産業株式会社」と書かれた看板が見えます。その前にあるビルが梶井基次郎氏の住居跡の隣りのビルではないかと思われます。このこと... ...続きを見る

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2014/08/25 11:13
大阪探訪58 日本文学探訪112 靭公園にある梶井基次郎氏の「檸檬」の碑・松橋登さんの朗読テープ
大阪探訪58 日本文学探訪112 靭公園にある梶井基次郎氏の「檸檬」の碑・松橋登さんの朗読テープ   写真は大阪の靭(うつぼ)公園にある梶井基次郎氏の小説「檸檬(れもん)」の碑を昨日、撮ったものです。昨日は大阪の実家に行って、病気の母の見舞いをし、亡父の位牌にお参りして、母、妹、姪と近くのレストランで昼食を取りました。その後、再び実家に寄って、家族でいろいろ話をしました。  3時過ぎに、実家を辞し、一人で地下鉄で本町に出、靭公園に出向きました。梶井基次郎の文学碑を見るためですが、ここに文学碑があることは、大谷晃一氏の「大阪文学散歩」(保育社 昭和56年発行)で知り、昨日もこの本を持参しまし... ...続きを見る

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2014/08/23 21:52
京都探訪164 日本文学探訪112 大山崎山荘美術館の漱石の句碑・「こころ」再連載は遺書が届く直前
京都探訪164 日本文学探訪112 大山崎山荘美術館の漱石の句碑・「こころ」再連載は遺書が届く直前  写真は大山崎山荘美術館の庭園に建つ夏目漱石の句碑を撮ったものです。漱石は加賀正太郎の山荘を訪ねたことがあり、句碑に刻まれているのはとそのお礼に漱石が贈ったものです。この句碑のそばの説明掲示板に次のようなことが記されています。  「文豪・夏目漱石が大正4(1915)年4月15日、桜花爛漫の大山崎山荘を訪れた。予てより山荘の名前を有名人に名付け親になってほしいと願っていた加賀正太郎の招きによっての訪問である。漱石一行は国鉄京都ステーションから山崎駅まで汽車で向かい、下車後夏目先生と奥方は籠に揺ら... ...続きを見る

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2014/06/29 12:23
藤山寛美さんの「人生双六」 日本文学探訪110 織田作之助の小説「アド・バルーン」に出てくる人生双六
 喜劇王と云われた藤山寛美さんが60歳で亡くなったのは、1990年のことですが、亡くなる半年程前に、大阪道頓堀の中座の舞台で寛美さんが主演する「松竹新喜劇」を見ました。その時はまさかこんなに早く逝去されるとは思いもしなかったのですが、今から思えば、寛美さんの姿をよく生で見たものだと感慨を深くしています。  寛美さんの死はショックでしたし、関西のみならず日本の喜劇界にとって大きな損失であり、その後、「松竹新喜劇」のテレビ中継が自然消滅的になくなってしまったのが、なんとも残念でした。寛美さんが大活... ...続きを見る

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2013/12/28 10:26
日本文学探訪109 三島由紀夫の割腹自決に関する、43年前の今日の日記
日本文学探訪109 三島由紀夫の割腹自決に関する、43年前の今日の日記     写真は醍醐寺三宝院唐門のそばの紅葉を今日撮ったものです。写真より、実際の方がずっと鮮やかな赤さだったという感じがします。近くの耳鼻科に通院した帰りにちょっと立ち寄りました。ここ半年ほど、のどの痛みに悩まされていますが、なかなか痛みが取れません。醍醐寺は紅葉が見ごろとあって、観光バスが何台か停まっていましたし、多くの人々で賑わっていました。  さて、国民の反対が強い、特定秘密保護法案が今日、衆議院の特別委員会で強行採決されたのに続き、本会議で可決され、衆議院を通過しました。秘密保護という... ...続きを見る

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2013/11/26 21:31
日本文学探訪108 三島由紀夫の割腹自決を知った時の、43年前の今日の日記
 43年前(1970年)の今日、三島由紀夫が亡くなりました。当時、私は大学入学を目指して自宅浪人中であり、家でその報に接しましたが、その時のことをその日の日記に綴っています。三島事件の当日だけではなく、次の日も、さらに1日置いた日にもこの事件について日記に感想や意見を記しています。それだけ、自分にとっても、この事件はそれだけ衝撃が強かった証拠です。  今から見れば、若さゆえの誇張した書き方やおかしな表現をしている部分などが見られて恥じ入るところも多いのですが、当時の記録として紹介する意味合いも... ...続きを見る

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2013/11/25 12:51
大阪探訪14 日本文学探訪107 生誕100年の今日、建った織田作之助の銅像 「夫婦善哉」草稿の変遷
大阪探訪14 日本文学探訪107 生誕100年の今日、建った織田作之助の銅像 「夫婦善哉」草稿の変遷     写真は生國魂神社の境内に今日建ったばかりの織田作之助の銅像を撮ったものです。今日が織田作之助の生誕100年です。5時前に着いたので、すでに除幕式や記念イベントは終わっており、銅像のところに人の姿はありませんでした。中之島で行われた甥の結婚式・結婚披露宴に出席した後、ホテルの送迎バスで梅田へ行き、梅田スカイビルやグランフロント大阪、阪急百貨店付近(梅田スカイビルと阪急百貨店はドラマ「半沢直樹」のロケ地となっていたこともあって)を少しぶらつきました。その後、地下鉄谷町線に乗り谷町九丁目で下... ...続きを見る

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2013/10/26 23:32
大阪探訪10 日本文学探訪106 「夫婦善哉」のお多福人形、「織田作之助と大大阪」で展示・うまいもん
大阪探訪10 日本文学探訪106 「夫婦善哉」のお多福人形、「織田作之助と大大阪」で展示・うまいもん  写真は法善寺横丁のぜんざい店「夫婦善哉」を一昨日に撮ったものです。写真に向かってすぐ左側が水掛不動さんです。  一昨日は「自由軒」の名物カレー(並と大がありましたが、並を注文しました)を食べた後、すぐに法善寺横丁まで歩いて、すぐに「夫婦善哉」のぜんざいを食べました。お昼ごはん時だったからか、お客さんは3人いただけです。後でまた3人入ってきましたが。自分にとっては、カレーライスとぜんざいがこの日の昼食になった形でしたが。  かつてこの「夫婦善哉」の店頭にお多福人形が飾られていました。そのお多... ...続きを見る

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2013/10/14 12:11
大阪探訪9 自由軒の名物カレー 日本文学探訪106 新聞記事「『夫婦善哉』 未発見の草稿」
大阪探訪9 自由軒の名物カレー 日本文学探訪106 新聞記事「『夫婦善哉』 未発見の草稿」   写真は大阪ミナミの「自由軒」の名物カレーを昨日撮ったものです。並と大がありましたが、並を注文しました。真ん中に生卵が載っています。私が子供の頃にも、わが家ではカレーライスの上に生卵を落すのが習慣になっていましたが、これも「自由軒」のやり方を真似たのでしょうか。関東ではカレーに生卵を入れることはないということを聴いていますが、これは事実なんでしょうか。カレーに生卵をまぶして食べると、味がまろやかになっておいしさが増すような気がします。  お昼時とあって店内は混んでいましたが、私一人座る席はあ... ...続きを見る

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2013/10/12 17:46
大阪探訪8 生國魂神社の井原西鶴像 日本文学探訪105 織田作之助の銅像・カレーと善哉、企画展 
大阪探訪8 生國魂神社の井原西鶴像 日本文学探訪105 織田作之助の銅像・カレーと善哉、企画展    写真は生國魂神社境内にある井原西鶴像を6月7日に撮ったものです。この近くに織田作之助の銅像が建てられるという内容の「オダサク『生誕』の地に建つ」と題する記事が、先日、朝日新聞の夕刊に掲載されていました。  銅像の「高さは台座を含めて約1.8メートル。右手にたばこを持ち、マントを翻している姿」であり、「像の視線の10メートルほど先には、織田が敬愛した文豪・井原西鶴の坐像がある」と記されています。織田作之助は井原西鶴の饒舌体を受け継いでいます。  その新聞記事には、銅像を建てるために私財を投... ...続きを見る

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2013/10/11 23:57
日本文学探訪101 清水義範氏の小説「国語入試問題必勝法」 大、小、展、外、誤の選択肢
 清水義範氏の小説「国語入試問題必勝法」(1987年7月初出)を久しぶりに読み直しました。実に風刺がよく効いている作品だと改めて思いました。予備校で国語を教えたり、国語の参考書を出したりしている月坂という家庭教師が、受験生の一郎にその解き方の極意を教えるというもので、意表を突かれるのは問題を読まなくても答えがわかるというところです。  月坂曰く、「選択肢が4つある場合は、大、小、展、外の4つになっている場合が多く、5つの場合は誤というものが加わる」と切り出し、「大というのは書いている内容を大き... ...続きを見る

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2013/01/07 17:29
日本文学探訪100 六草いちか氏による、森鴎外の恋人とされるドイツ女性の婚姻届・死亡届の発掘
 拙ブログ2011年3月17日付け記事で、ドイツに住む女性の六草いちか氏が、「鴎外の恋 舞姫エリスの真実」という本を出版され、そのインターネット上の新聞記事を紹介しましたが、この11月6日付け朝日新聞に、森鴎外の恋人とされる女性についての、新たな記録が六草氏によって発掘されたという記事が載っていましたので、興味を惹かれ改めて取り上げました。  前にも述べたように、鴎外には、ドイツ留学中に知り合ったドイツ女性がおり、鴎外が帰国後、鴎外を追ってそのドイツ女性が来日したものの、鴎外の家族の者に説得... ...続きを見る

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2012/11/17 18:25
日本文学探訪20 「彼岸過迄」3 「眉を暗くした」という表現
日本文学探訪20 「彼岸過迄」3 「眉を暗くした」という表現  写真は和田神社の境内に咲いていた椿です。文字通り今は「彼岸過ぎ」ですが、漱石の「彼岸過迄」は明治45年の元日から、春の彼岸をとっくに過ぎた4月29日まで朝日新聞に連載されました。漱石の作品の題はいつも簡潔で、安易と言えば言えます。むろん、「こころ」のように、題が意味するところは深いものがありますが。  さて、今回の入試センターの問題に「眉を暗くした」という言葉の意味を問う問題がありました。この言葉に私は少し違和感を覚えました。「眉をひそめる」や「眉を曇らす」という言い方はありますが、「眉を暗... ...続きを見る

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2008/03/27 00:37
日本文学探訪29 「彼岸過迄」2 センター試験の設問に即して
 市蔵が高木に嫉妬心を燃やすのは、高木が何をやってもそつのない立派な人物だったからであり、センター試験でもそのことが分かっているかどうかが問われています。千代子と結婚する気がないにもかかわらず、高木に千代子を取られると思うと嫉妬の念が起こるのです。  また母も自分と千代子との結婚を望んでいることも押さえておく必要があります。市蔵と千代子は表向きはいとこの関係ですが、市蔵が母の実子でないだけに、血がつながっておらず(市蔵と千代子とはお互いの母が姉妹という関係です)、それだからこそ、母は市蔵を結婚... ...続きを見る

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2008/03/23 01:44

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