漫画探訪14 「手塚治虫にとっての重い体験」1

 手塚治虫にとって、生涯を左右する大きな重い体験が二つありました。それが、人間の心や社会に潜む闇の部分に対する深い理解につながったと思われます。
 その一つが、昭和20年の大阪大空襲でした。彼はこの時、旧制の中学生でしたが、戦争中で授業どころではなく、勤労動員と言って、軍需工場で働かされる毎日でした。大阪は終戦を迎えるまで、アメリカの爆撃機であるB29による空襲を60回近く受けており、彼もまたその惨状を目の当たりにしました。淀川の堤防に折り重なっている数多くの死体、次々に炎上し破壊されてゆく家々やビル。自分のそばに落ちる爆弾の音や機銃掃射の音と言い知れぬ恐怖感。 こういう原体験が、少年の彼の心に深い影を落としたに違いありません。手塚治虫が「どついたれ」や「心の砦」など多くの作品で、空襲体験に触れて描いていることが、彼の味わった体験が一通りではなかった証拠であり、彼自身、こういう戦争体験は次の世代に伝えてゆかねばならず、「語りべ」としての義務が自分にはあると言っています。
 もう一つの大きな重い体験は、彼が作った虫プロダクションの倒産であり、彼は巨額の負債を抱えてしまいました。倒産したのは1973年、彼が45歳の時でした。すでにその数年前から手塚治虫は困難な状況に追い込まれていました。劇画や新人による漫画に押されて、彼の漫画の人気が落ちてきており、彼自身、そのことを意識せずにはいられませんでしたし、経営のことでも頭を痛め、不安な要素をいろいろ抱えていました。彼はその当時を「長い冬の時代」と言っていますが、悩みが多かった時代だったのでしょう。
 虫プロの倒産は彼にとって大きなダメージでしたし、精神的に相当落ち込みました。豪邸も売り払わねばなりませんでしたが、その彼を救ったのが、「一から出直しましょう」という悦子夫人の言葉であり、彼はそれによって気持ちを切り替えることができ、再スタートを切ることができたのです。

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