漫画探訪16 横山光輝の世界2 「史記」の虞美人の死 ・「三国志」1 貂蝉(ちょうせん)の犠牲

 横山光輝の漫画は絵が整然としてきめ細やかなものであり、かつての白土三平に代表されるような荒っぽい感じの劇画タッチではありません。しかし、横山光輝の中国歴史ものは戦いの場面がリアルに描かれていますから、むろん残酷な描き方も時おりされており、目を背けたくなるような場面がないとは言えませんが、それほどこだわらずに読み進むことができます。
 光輝の描いた「項羽と劉邦」や「史記」では、四面楚歌の話で虞美人が自害する悲劇的な場面が載せられています。司馬遷の「史記」では自害の場面がないのですが、虞美人は敵の手に落ちるよりと思って自殺の覚悟を決めたのでしょうし、最後の一戦を交える項羽の足手まといになるだけだと思ったのでしょう。これが木曽義仲の巴御前なら、男に劣らぬ働きをしますから、付いていても何のマイナスになるどころか、むしろ大活躍をしたでしょうし、実際、「平家物語」の「木曽殿の最期」では、彼女は華々しく暴れ回っています。しかし、か弱い虞美人を伴っていては、項羽は確かに敵中突破をはかれなかったでしょう。言い伝えでは、虞美人が死んだところから草が生え、花が咲き、それが虞美人草(別名、ひなげし)と名づけられたとされています。
 横山光輝の「三国志」の最初のほうで、悲劇的な女性として描かれているのが、貂蝉という女性です。王允(おういん)の養女である貂蝉が、董卓将軍と呂布の仲を裂くべく、自分が犠牲となることを決意します。董卓将軍は天下の実権を握ると帝を代え、前帝やその母を殺したり都を洛陽から長安に勝手に移したり横暴を極めます。董卓将軍が呂布を味方にしたのは、名馬の赤兎馬を贈ったからであり、そのために呂布は養父まで殺してしまうのですが、そのあたりが豪傑ながら単純な人物として描かれています。貂蝉の一件でも同様でした。
 王允は呂布に貂蝉を見せたところ、呂布はその美貌に惚れ込んでしまい、王允も呂布と彼女との結婚を承諾するのですが、その一方で王允は彼女を董卓に見せ、やはり彼女に惚れ込んだ董卓のところに先にやってしまうのです。事情を知らない呂布は董卓を恨み、貂蝉もいやいやながら董卓のところに来たと呂布にすがりつき、また王允も董卓に養女を取られたことを嘆き董卓暗殺を勧めたため、その作戦にまんまと乗せられた呂布は董卓を殺してしまいます。
 董卓を討ち貂蝉のところに喜び勇んで駆けつけた呂布は部屋で自害している彼女を見い出します。彼女は呂布の女になる気などさらさらなかったわけであり、死をもって自分の思いを示しました。彼女は微笑んで死んでいたと描写されており、自分の計画がうまくいってよかったという意思の表示です。ここまで自分を犠牲にする、立派で潔い女性の姿が印象的ですが、一方で哀れさ、悲劇性も感じられて、深い余韻を残しています。もっとも、この話、実際はどこまでが真実かよく分かりません。貂蝉自身が架空の人物だという見方もあります。

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