古典文学探訪38 「史記・項羽の最期」2  哀れな末路

 項羽の最期は潔いものでしたが、その後は悲惨でした。傷を負った項羽は劉邦軍の中に、昔馴染みでかつては項羽の味方だった呂馬童を見つけますが、呂馬童は項羽から目を背けて、劉邦軍の王翳に指さして「これが項羽だ」と知らせます。当時は写真も何もない時代ですから、特に身分が下の者にとっては、敵の大将の顔など知られていないのが当然でした。呂馬童が項羽を正視できなかったことに、彼の負い目が感じられますし、自分自身では殺せなかったことを物語っています。項羽は自分の首に大金や領地がかかっているのを知っていて、それらの賞を呂馬童にの与えてやろうと言って、自分で自分の首を切って死にます。
 その後が悲惨としか言いようのない状態になりました。項羽の体に賞金がかかっていたために、みんなわれがちに項羽の死体に殺到します。そのため項羽の体はばらばらになり、五等分されてしまいます。その五人に賞金などは平等に分配され、むろん、呂馬童もその一人でした。英雄の末路はあまりに哀れです。
 しかし、「史記」を書いた司馬遷の書き方はシビアです。「天が我を滅ぼそうとしている」という考え方がそもそも間違っていると言うのです。自分の兵の使い方が間違いだったというわけです。確かにそういう面があったことは事実であり、項羽が宮殿に放火したり、反秦の旗頭であった懐王を殺したり、降伏してきた秦の兵20万人を生き埋めにしたりしています。しかし、劉邦自身も立派な人物であったかというとそうではありませんし、いろいろと欠点も持っています。しかし、部下の意見に耳を傾け、よい家臣に恵まれていたのに対して、項羽は自分中心主義で、優秀な部下であった范増も結局項羽のもとを去っています。
 そういう違いは確かにあるものの、勝敗は時の運であり、司馬遷の見方は多分に結果論的です。それに司馬遷自身が前漢時代の人間であり、漢の高祖である劉邦の悪口は書けません。そのようなことをすれば、どのような罪に問われるか分からないからです。その点は割り引いて考える必要があります。

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