映画探訪13 「デス・ノート」 カミュの戯曲「戒厳令」との共通性

 名前を書くとその人物が死んでしまうという「デス・ノート」を手に入れた主人公のライト(藤原竜也)が、「キラ」となって犯罪者を次々に殺してゆくという話で、それはまさに現代版必殺仕事人といった趣きの内容です。もっとも、仕事人は裏で仕事を行うのに対して、「キラ」は自分の正体を明かさないものの、その存在を人々にアピールし誇示します。極悪人をやっつけてくれるという点で、人々から感謝され、圧倒的な支持を得ます。
 この映画の面白さは、「キラ」と彼を追い詰めようとする「L」と名乗る探偵との丁々発止とした駆け引き、頭脳戦です。「L」はライトが怪しいと目をつけますが、「キラ」もさるもので、その攻撃を次々とかわしていきます。自分が疑われないために自分の恋人も犠牲にしてしまうのですから、すでにこの時点で悪魔的な存在に変わっています。「キラ」の正体を探ろうとしたFBIの捜査官も「デス・ノート」を使って殺してしまいますから、いくら保身のためとは言え、「キラ」は正義の味方とは言えません。
 ところで、こういう死のノートの発想自体は新しいものではありません。原作者がどこからそのヒントを得たか知りませんが、私が知っている限りでは、フランスの作家カミュが書いた戯曲の「戒厳令」に出てきています。カミュが書いた「ペスト」という小説と同様、ペストが蔓延したスペインの町での話です。町の支配者の総督の前に、ペストと名乗る人物が現れ、町の権限を譲るように要求します。総督が拒否すると、ペストの女秘書が手帳を取り出し、そこに書かれている人物の名前を消すと、たちどころにその人物が死んでしまいます。恐怖に駆られた総督は、あっさり権力を彼らに与えます。ペストは手帳によって人々の死を管理します。死を与えられる者は手帳によってであり、偶然の死はないことになるのです。ペスト菌の具現化された姿が人間ペストというわけであり、彼はヒトラー並みの独裁政治を行っていきます。
 「デス・ノート」では名前や死因を書くことによってその人をそのノートに書かれた通りに殺すのができるのに対して、「戒厳令」では単に名前を消すということだけしかできませんが、両者共にノートや手帳で人の死を操れるというところに共通性があります。「デス・ノート」では死に至る状況まで克明に書けるという点にオリジナリティがあり、またそういうきめの細かさがあるからこそ、映画を見ている者は「キラ」と「L」との頭脳プレーを堪能することができるのです。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック