漫画探訪19 「三国志」4 曹操の不遜、張飛の酒乱

 関羽は呉軍に捕まっても、呉に味方することを拒み、首を刎ねられます。しかし、劉備の怒りを恐れた呉は関羽の首を魏の曹操の元に送って、責任逃れをします。曹操は丁重に関羽を葬って、懐の深さを示します。かつて関羽は劉備がなくなったと思って、曹操軍に加わりましたが、劉備が生きているのを知って、密かに曹操の元から去りました。しかし、曹操はそれを咎めず、彼を逃がしますが、そこでも曹操は理解を示しました。驕り高ぶった不遜なところもある、「三国志」では悪役的な描き方をされる曹操ですが、大物としての度量も見せるのです。
 しかし、驕りや油断はこの歴史物語では必ずと言っていいほど、その報いを受けます。曹操も例外ではなく、神木を倒し、名医の華陀を殺したことから、今まで彼があやめた者たちの亡霊にとらわれ、その後すぐになくなります。亡霊を見たのは物語的な脚色でしょうが、精神的なストレスにとらわれていたと言ったらいいでしょう。脳に病巣があり、それを手術で取り除けば助かると華陀は言いますが、彼が関羽の腕を手術して治ったことを曹操は知って、曹操は関羽のあだを討とうとしてのことかと勘ぐり、華陀を投獄し、最終的に殺してしまいます。
 木を倒してたたりがあるというのは現代から見れば迷信かもしれませんが、この話ではそれがよくなかったというふうに描かれています。曹操の不遜さがその出来事に端的に現れているというわけですが、「三国志」の世界は結構合理的な面もあり、その一番いい例が諸葛孔明です。赤壁の戦いで勝てたのは南の風が吹くことをあらかじめ知っていたからであり、また川の氾濫を収めるため、今までは人間のいけにえが必要だったのに、小麦粉で皮を作り中に肉を詰め込んで人の顔の代わりとして用い、それが現在の饅頭(マントウ)の起源になったということが述べられています。
 名医の華陀を激情に駆られて殺した曹操ですが、そういう残酷さは、最初の頃から見られます。まだ若い頃に逃げてかくまってくれた知人が自分を裏切ったと錯覚し、知人の家族を殺し、さらに自分のために買出しに行ってくれていた知人も殺してしまいます。血も涙もないといった印象の曹操であり、策謀家だからこそ、後に大きく成長していけたとも言えます。彼が漢の皇帝を自分の元に取り込めたことも大きかったのですが、それは日本では天皇を味方とした方が官軍となり、それに反する者は朝敵と見なされるのと全く同じ構図です。
 それに対して張飛の場合は酒が命取りになりました。昔から彼は酒で失敗していましたが、その一番の例はかつて荊州城の留守番を任されていたのに、禁じられていた酒を飲み酒乱の癖が出て、挙句の果ては前後不覚になり、その隙に呂布に城を奪われてしまうという失態を犯したことです。最期もまた同様であり、酒に酔いつぶれて寝ていたところを、裏切った家臣に殺されてしまいました。

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