石田三成の実像154 「関ヶ原探訪記」6 歴史民俗資料館における三成の説明文 

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 写真は関ヶ原の歴史民俗資料館を撮ったものです。関ヶ原の戦いに関するものばかりですが、西軍・東軍いずれにも目が配られた展示内容になっています。石田三成関連では、三成が着用していた乱髪天衝脇立兜の複製が展示され、その下に石田三成の説明がかなりの字数を割いて行われていました。しかも、かなり好意的な見方が示されており、溜飲の下がる思いがしました。
 秀吉政権のもとで、行財政の才能を発揮して、刀狩りや太閤検地などの立案や企画に関わり、自ら実施したこと、堺奉行や博多奉行を務めて商工業の振興が、政権維持に欠かせないことを分かっていたこと、戦いの際に兵站という重要な役を務めたものの、地味な仕事なので世間の評判にはなりにくかったこと、徹底して政策を実行していったために横柄な者と思われていたこと、しかし、三成と結びついていた大名やその重臣も少なくなかったこと、家康に対して立ち上がったのは豊臣家への忠誠心からであることなどが書かれていました。もっとも、武将としての活躍に触れられていないのは残念ではありましたが。
 さらに、江戸時代には三成の事蹟が故意に消されたこと、唯一評価していたのは徳川光圀だったこと、三成が行った多くの施策が幕府に受け継がれて、幕藩体制のレールを敷いたのは彼であったにもかかわらず、それが知られていないのは三成にとって哀れだとも説明されていました。しかし、これだけの説明でも一定の再評価につながりますし、三成に対する捉え方が変わった人がいるのではないかと思われます。
 むろん、秀吉に召し抱えられた時の三献茶の逸話は最初に書かれていました。三成が着用していた乱髪天衝脇立兜は大河ドラマ「葵 徳川三代」で江守徹もかぶっていたもので、なかなか印象的で決まっていましたし、その角が長く突き立ったような形に特徴がありました。もっとも、兜姿の三成には悲壮感が漂っており、特に小早川秀秋に裏切られたときの三成が目を血走らせて悔しがっている姿は忘れられませんが。

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