日本文学探訪33 「続 明暗」2 お延の死はありうるのか

 津田の妻のお延が最後は死ぬことになるという結末は、昔から多くの人によって想定されてきたようですが、その場合でも津田は清子という聖女によって心の平安が得られるといういわゆる「則天去私」神話が信じられてきました。
 水森美苗の「続 明暗」ではむろん、津田は清子に救われるどころか、自分の人間的欠点を指摘されて、おまけに清子と会っているところにお延が現れてうろたえますし、妻に対する弁明に汲々としており、体裁と保身をはかる我執にとらわれた人間のままです。水森美苗もまた、江藤淳のように「則天去私」は神話に過ぎないという立場に立っており、それで小説の続きを描いています。私もまたそれに同意する者ですが、ただ津田の前に現れたお延が今までの勝ち気さを失い、口数も少なくなっていくことが私には不満であり、この点について、作者は自殺を決意するお延が寡黙になっていくのは必然だと後書きで述べています。自殺することを決意しないなら、別の描き方があったとも言っていますが、私はお延が自殺するのはありえないのではないかと考えています。お延に問題があったというならともかく、悪いのは津田の方であり、津田が自殺するのは分からない話ではないとしても、夫に絶望した彼女が死を選という選択は普通ならしないはずです。昔の恋人に連綿としている夫に見切りを付けて別れればいいのであり、そういう強さを彼女は持っているはずです。まず、お延の死ありきという捉え方を改める必要があるような気がします。お延が津田に絶縁状を突きつけて去って行き、取り残された津田が呆然とするという結末の方がいいのではないでしょうか。
 お延が津田に絶望する決定的な点が、津田の温泉行きを勧めたのが吉川夫人であると書かれているのはうなずけないことではありません。夫人に踊らされている夫の姿を知って、これは駄目だと見切りをつけるのは当然の心の動きだと言えるからです。しかし、お延自身も夫人に踊らされていると知って、愕然として、それが自殺する大きな要因となるという描き方は問題だと私は思います。前にも述べたように、お延が夫人にそそのかされて温泉に行くという展開自体が不自然です。
 不自然と言えば、小林も津田の妹のお秀も温泉に現れるというのも、作為的なものを感じます。確かに、小林はまた小説に登場するような気はしますが、お秀まで来るというのは、不自然であり読者へのサービスのし過ぎでしょう。

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