日本文学探訪37 「こころ」2 「奥さん」に「先生」の過去を打ち明けなかった「私」

 「先生」から遺書を受け取った「私」が、「先生」の奥さんに「先生」の過去を打ち明けなかったのはなぜでしょうか。「先生」の奥さんの立場にしたら、自分の夫がなぜ自殺したのか分からないのですから、こんな残酷なことはありません。「私」もそれは充分分かっていたはずで、「奥さん」も夫の自殺の原因について、何か心当たりはないかと「私」に尋ねたはずです。しかし、「私」はそれを言わなかったことが、第一部から読み取れます。
 「奥さん」は夫が自殺したことについて、自分に非があるのではないかと自分を責めたはずです。それは「先生」との結婚生活にしても、夫が変わってしまったことで、自分に原因があるのではないか、あるならそれを言ってくれと「先生」に迫る場面があり、それが夫婦のささやかなもめ事になるのですが、それが自殺することになるに至っては、なおさらです。しかし、それでも「私」は「先生」の過去は明らかにしようとしませんでした。「奥さん」を苦しませるのを承知で、「先生」と「K」とのいきさつを「奥さん」には語らないままでした。
 それは「先生」のたっての願いということが大きいと言えます。「先生」は自分の妻には過去を語らないでくれとくれぐれも頼んでいるのです。それがいくら理不尽なことであっても、「私」にだけ打ち明けられた過去を、たとえ、相手が「奥さん」であっても、伝えることは「先生」との約束を破ることになり、それだけはできなかったと思われます。なにしろ「私」だけが、「先生」に過去を打ち明けられる唯一の人物として選ばれたのです。「先生」は人をも自分をも信じていない人物であり、「私」だけが特別視されたのです。その「先生」が、妻を汚したくないという理由で、秘密は明かすなと頼んでいるのですから、それを忠実に守ったのは当然です。
 しかし、客観的に言えば、この「私」の選択は誤りだったと言えます。「奥さん」が死ぬまで苦しんだことが目に見えているからですし、この重たい秘密を打ち明けられてしまった「私」もそれを抱えたまま生きていくのは苦しかったと思われます。「奥さん」の悩みを目にするにつけ、話したくて苦しんだことも想像できます。そういう意味で「先生」は「私」にも「奥さん」にも重いものを背負わせてしまったわけで、「先生」の罪は後々まで尾を引いたと言えます。もっとも、「私」は「先生」から秘密を打ち明けられたことで人間不信には陥らず、「先生」を反面教師として歩んでいったのでしょう。

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