石田三成の実像378 「三成と堺」5 堺の環濠を復活させた「黄金の日日」の助左衛門、認めた三成

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  写真は堺の環濠跡を撮ったものです。環濠は自治都市であった堺を象徴するものでしたが、堺奉行となった石田三成はその環濠を埋めさせました。むろん、秀吉の命令を受けてのことでしょうが、自治都市としての位置づけは失われてしまいました。すでに信長が堺を屈服させており、秀吉政権はそれを受け継いだ形です。しかし、三成は堺の商人の鵙屋宗安や津田宗及とは特に親しくしていましたし、実際は千利休との関係も悪くありませんでした。
 かつての大河ドラマ「黄金の日日」では、三成が堺の商人のルソン助左衛門と若いときから友情で結ばれているという設定でした。秀吉に仕えて間もない三成と、まだ無名の助左衛門が出会うのが第18話「別天地」であり、これをきっかけとして二人は厚い友情で結ばれていきます。「天地人」でも、三成が兼続と出会う「落水の会」(これも史料的な裏付けに乏しい話ですが)のはるか以前に、若い二人が信長のところで運命的な出会いをするという場面が用意されていました。
 「黄金の日日」では、やがて堺奉行となった三成が助左衛門のためになにかと便宜をはかっていました。秀吉が天下を取って独裁者然として振る舞い出し、それに助左衛門が反抗した時にも、三成は彼をかばって、彼を国外に逃がしてやります。秀吉の死後、ルソンにいる助左衛門に、国外追放が解かれたと知らせるのも三成ですし、三成が反家康の兵を挙げた時も、堺の埋められていた濠を復活するのを三成は認め、自治都市堺の復興に一役買います。助左衛門は、堺が豊臣にも徳川にもつかず自治を守ると宣言し、三成はそれを認めました。しかし、三成は関ヶ原で敗れ、堺は徳川に攻められ、堺は自治都市でなくなってしまうという描かれ方でした。むろん、徳川に攻められるのは創作でありそういう描き方は問題ですが、堺の賑わいが江戸時代になって消えてしまうのですから、そういう展開になっているのはドラマとしては分かりやすい構図です。三成が堺の自治を実際認めたかどうかは分かりませんが、関ヶ原で勝っていても、豊臣政権はある程度分権を認めるという形の集団指導体制でやっていかざるをえなかったのではないでしょうか。世界との交易を盛んにするという利点を踏まえ、堺の自治を認めた可能性はなくはないという気がします。

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