石田三成の実像585  大西泰正氏「研究ノート 豪姫のこと」1 秀家と豪姫の婚約 付記桑田氏の三成本

  大西泰正氏よりご恵贈賜りました「研究ノート 豪姫のこと」(岡山地方史研究 122)ですが、読ませていただいて初めて豪姫の前半生が学問の検討研究の対象になっていないことを知りました。大西氏は豪姫の前半生が印象的にしか語られてこなかったことに長い間、疑問を抱かれてきました。
 この研究ノートで、大西氏は一般的に認識されていることを是認できる点と、疑問に感じる点とをより分け、そこに新しい見解を付け加えられていますので、どこまで豪姫のことが分かっていて、何が問題となっているのかを把握することができました。
 豪姫が生まれたのは1574年ですから、三成より14歳年下であり、今年の大河ドラマのお江より1歳年下です。豪姫の生まれ年の根拠がどこにあるか、大西氏は明らかにされていますが、「義演准后日記」の慶長2年(1597年)12月10日の条に「中納言申歳二六」「女房衆戌歳二四」とあり、宇喜多秀家が1572年生まれであり、豪姫は秀家より2歳年下であるとわかります。
 豪姫は前田利家の娘であり、秀吉の養女となって、宇喜多秀家と婚姻しますが、いつどのような経緯があって秀吉の養女になったのか分からず、秀家との婚姻の時期やその経緯も定かでないと大西氏は書いておられます。それを語る唯一の史料が、「加賀藩史料」の第1巻に所収されている「関屋政春古兵談」にある記述です。その内容は、天正10年(1582年)6月、秀吉が本能寺の変を知って毛利方と和睦し、中国大返しをする途中、宇喜多家の有力家臣である岡家利に対して、養女である豪姫を秀家に嫁がせることを口頭で指図をしたというものです。この「関屋政春古兵談」の中には、豪姫(利家娘とあって豪姫とは書かれていませんが)を「生落」より「養置」とあって、「実子同然」と書かれています。もっとも、大西氏は秀吉養女の縁組であるので、それが秀吉の指示であったという点は是認できるものの、書かれていることが事実そのままではあるとは考えにくいとおっしゃっています。
 しかし、史料としてはこの「関屋政春古兵談」以上のものはなく、桑田忠親氏も藤島秀隆氏も天正10年(1582年)に秀家と豪姫が婚約を結んだとしています。
 桑田氏は豪姫が秀吉のもとで育てられ、天正16年(1588年)を下限に秀家と豪姫の婚礼があったとし、藤島秀隆氏も同様の見解を示し、大西氏もその判断を支持しておられますが、藤島説の中の、秀家と豪姫がともに秀吉のもとにおり、兄妹のような関係であったことには疑問を呈されています。
 ここで豪姫から少し外れますが、桑田忠親氏については私は思い入れがあります。桑田氏の「石田三成」は昭和49年に書かれ、昭和57年に講談社文庫に入りましたが、私が読んだ三成に関する書ではほとんど最初のものであり、私が詠んだ連作短歌「無念、関ヶ原」の参考文献の一つにしています。もっとも、桑田氏の「石田三成」では武断派の背後には北政所が、三成たち奉行派の背後には淀殿がいたとするなどの問題点もいろいろありますが、責任感・根性・勇気を持ち、執念の鬼であったという点で桑田氏は三成を高く評価しておられます。

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