大河ドラマ探訪7 「江」第5回「本能寺の変」の無茶な点1 江の幻影を見る信長・信長の幻影に救われる江

 「江」第5回「本能寺の変」でも、ヒロインの江を信長や家康と無理に絡めようとして無茶な描き方がされていました。その最たるものが、本能寺の変で自害しようとしている信長が、江の幻影を見るというものであり、さらに家康が堺から脱出し、伊賀越えをする際、同行した江(家康と一緒にいること自体フィクションです)が馬に乗ったもののうまく扱えず、信長の幻影が江の後ろに乗って、江を助けて危機を脱するという場面でした。10歳の江がこれまた一人で京にいる家康に会いに行く(江のお悔やみの手紙に感動した家康が招くということになっていましたが、ありえない話です)のもおかしい話であり、さらに江が家康と共に堺に行くというのも、史実を無視した描き方です。
 家康と絡ませたのは、後に江が家康の息子の秀忠と婚姻し、将軍御台所になり、平和な世の中を作るという流れにしたい伏線の一つでしょうが、江のその当時の動向が史料に残っていないから自由な描き方が許されると言っても、信長の最期に絡ませたり家康に同行させたりという明らかな嘘を持ってくるのは、あまりにひどい話です。やはり「このドラマはフィクションです」というテロップを最後に入れるべきでしょうし、それをせずに、ドラマだからなんでもありという口実のもと、史実を歪曲してしまうのは、歴史に対する冒涜以外のなにものでもありません。敢えてお名前は挙げませんが、著名な歴史研究家や歴史学者のブログをいろいろ拝見していると、「江」に対する批判・非難の声ばかりであり、それは当然という気がします。内容のひどさに呆れて、大河ドラマを見るのをやめたという人もいらっしゃいます。
信長と光秀の関係も、これでもかこれでもかというほど、光秀が信長に苛められるという展開であり、ドラマとしてはわかりやすい構図ですが、虚構性が強く、これでは光秀はまるで「忠臣蔵」で吉良上野介に苛められる浅野内匠頭といった印象です。第3回「信長の秘密」では、フロイスが帰った後で、光秀が信長にフロイスを一度も見ようとしなかったと言って、信長に殴られていました。光秀は仏教に対する信仰心が篤く、異国人嫌いという捉え方であり、それは第1回における比叡山の焼き討ちの際に、僧侶たちを殺すことに疑問を感じているという伏線が敷かれていることにも明らかでした。
 第4回「本能寺へ」でも信長が武田勝頼を滅ぼした時も、光秀は武功を立てていないと信長に非難されて折檻を加えられ、家康が取りなすという場面がありましたし、その後、光秀は信長に四国攻めの総大将を外されるのみならず、光秀の分別面が鼻につくと言われ、さらに秀吉の配下に入り中国攻めに加わるように命じられ、光秀はプライドを傷つけられて手を震わせてぐっと堪えるという話が盛り込まれていました。さらに第5回「本能寺の変」では、信長は光秀の今の領地を召し上げて、これから攻め取る石見・出雲の国を与えると言う(これがありえない話であることを谷口克広氏が「検証 本能寺の変」で論証されています)のみならず、信長自身が、今自分を襲えるのは光秀だけであり、光秀に謀反でもおこしてはどうかと持ちかける始末です。

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この記事へのコメント

2011年02月11日 21:06
今回の「江」、石田さんのおっしゃられるように、ドラマ内の創作シーンが目立ち、観ていて白けてしまった時もありました。
光秀が「敵は本能寺にあり!」と叫ぶまでの演説シーンや、本能寺での攻防、炎の上がる中での撮影(個人的には蘭丸のシーンが、俳優を知っていることもあり、印象に残っています。)など、惹き込まれる事もあったため、惜しいと思いました。
もっとも、主人公を有名な事件に絡ませるのは、これまでのドラマでも見受けられましたけれども。
信長にしても、光秀への仕打ちが「愛の鞭」とは思えないほど過剰に思えた為、「あそこまでしておいて、光秀を警戒しないのはおかしい。」とも思いました。
前述の光秀の台詞は、江戸時代に創作されたものですが、これをドラマで描くのは個人的には許容できる為、創作シーンの挿入は、やはり程度の問題だと思います。
光秀への仕打ちは、基になっている資料の信頼性が分からない為、どのように描くのが正しいかは分かりませんが、石田さんは謀反の動機も含めてどのようにお考えでしょうか。
三成もいよいよ登場するとは思いますが、秀吉の描き方が今まであまり良くない為、不安ではあります。
冷酷非情な策士や秀吉のイエスマンとしては描いて欲しくは無いと思いますけど。
2011年02月12日 17:30
 キャップさん、コメントありがとうございます。
 「江」の第5回「本能寺の変」は、確かに部分的には印象的な場面もあり、迫力にも富み見応えもありましたね。第4回では馬揃えの場面を描くなど(描き方は問題はあるものの)、費用をかけ信長の派手さと威力を見せようと工夫されてもいました。
 主人公を重要事件に絡める描き方は今に始まったことではなく、以前からそうですが、ますますその度合いがひどくなってきているような気がします。これは製作者側にそれをよしとしてドラマを面白くさせようとするような、史実を軽視する態度があるからであり、根本的な問題を感じますが、今後、改善されるどころか、これからますますひどくなってゆくことが懸念されます。
 本能寺の変については、今のところ、谷口克広氏が論証されているように、信長の四国攻めへの方向転換にそれまで長宗我部氏の取次役を務めてきた光秀の立場がなくなったという見方が一番妥当性があるように思っています。この説については、拙ブログでも紹介しますが、むろん、それだけではなく、複数の要因が重なったのでしょうが。しかし、本能寺の変の謎は歴史へのロマンを掻き立てられますし、今後もその原因について、熱い議論が交わされるのではないでしょうか。
 キャップさんのおっしゃるように、秀吉は戯画化されて描かれており、その路線は続くでしょうし、さらに独裁者的な面も付け加わってくるような気がしますから、三成の描き方もどのようなものになるか大いに不安を感じますね。

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