石田三成の実像638 漫画探訪35  山田芳裕氏「へうげもの」における三成3 茶が面白くない理由 

石田三成が堺奉行に任じられた時期について、太田浩司氏の「近江が生んだ知将」の中の略年譜で天正14年6月14日と書かれています。このことについては相川司氏の「石田三成」でも取り上げられていますが、同日、上杉景勝と直江兼続は大坂城で秀吉に謁見しており、上杉家との取次を務めている三成が堺奉行に任じられるのは唐突な感がするし、三成の具体的な事績も伝わってこないので、懐疑的な見方を示されています。ただし、父親の正継が忙しい三成に代わって堺奉行の業を担った可能性や、後に兄の正澄が堺奉行に任じられたため、それが著名な三成にすり替わったのかもしれないと書いておられます。三成の具体的な事跡については、2009年9月19日拙ブログで触れたように、三成が堺奉行所に天白稲荷神社を勧請したことや天白稲荷神社に石燈篭を寄進したということが「堺市史」に記載されています。「へうげもの」の中では、三成が堺奉行に任じられるのは秀吉が能の稽古をした後という設定になっており、上杉景勝は出てきていません。
 三成が堺衆を茶でもてなした際、利休が三成の茶の湯を面白くないと批判している場面ですが、三成は「面白きとはいかなることか、しかと理を申してくれなければやりようがない」と訊ねます。いかにも理詰めで来る三成らしい発言「ですが、利休はそれに対して「理で申せるものではなく、感じ入ることを積み重ねにじみ出てくることだ」と述べ、さらに「強いてたとえを挙げると、秀吉のようなお方を面白いと申す」と続けます。秀吉の名前を出されて、三成は反論も出来なかったという展開になっているのですが、感性を重視する利休と、理屈でものを考える三成が対比されているような描き方です。ここも一面的な捉え方と云えますし、人間性に乏しい三成が強調されているような印象を受けます。
 もっとも、「へうげもの」ではこの後、山上宗二が利休に向かって、「利休を見損なっていた」と批判する場面が出てきます。「秀吉の黄金の茶室や聚楽第になぜ力を貸さねばならないのか、わび数寄とは全く反対の秀吉のやり方を面白いとは何事か、利休は町衆ではなく武人たちの味方になり果てたか」と詰問しています。それに対して、利休は「世にわびの美を広めるためには秀吉はまだまだ必要なお方だ」と答えますが、山上宗二は承服しません。「自分の家は父の代に繁盛し名物をたくさん持ってたいたが、武将たちの名物狩りで一切を失い、没落した」と言い、「今世にある名物は堺の商人の血と汗の塊であるのに、武人たちが自分のものであるかのように扱い、自分たちが始めたように茶の湯に興じることが我慢がならない」という意味のことを述べます。
 山上宗二の悲劇的な最期を予想させるような発言ですが、利休は茶人の面だけではなく、いかにも権謀術数的な政治家的な面も持ち合わせていたという描き方です。この点について、武者小路千家第十五代次期家元の千宗屋氏が、本の最後のインタビューで豊臣家のことを取り仕切る権力を手に入れた「フィクサー」としての利休を強調しておられますし、利休の生前の記録を探ると、我が強くて結構扱いにくい人物であったという側面が見えてくるとおっしゃっています。もっとも、「へうげもの」のように信長暗殺を策謀し、さらには秀吉に天皇を毒殺することまで持ちかける利休の姿を千宗室氏は許容しておられるわけではないでしょうが。

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