大河ドラマ探訪46 江が徳川家光の生母ではないとする福田千鶴説

 大河ドラマ「江」では、江は秀勝と二度目の結婚をするところまでもまだ行っていませんが、この後、徳川秀忠と運命的な三度目の結婚をするという展開になっていくのでしょう。江は後に三代将軍となる家光を生み、さらに二代将軍秀忠の御台所となり、その上、娘の和を天皇の后にする(最初は女御、後に中宮になります。天皇と和の間に生まれた子が後に明正天皇になります)というサクセス・ストーリー(むろん、秀勝や茶々を失うという苦難を乗り越えてのことですが)の女性として、また平和な時代の礎を築いた女性として描かれてゆくものだと思われます。
 江が生んだとされる家光ですが、福田千鶴氏が「江の生涯」の中で家光(竹千代)が秀忠と江の子ではないという驚くべき新説を唱えておられ、新著「徳川秀忠」でもその説を改めて披露しておられます。福田氏がその最大の理由としておられるのが、家光誕生の前年の同じ7月に、江が初(江の姉の初と同じ名であり、姉の初に子供がいないので、この生まれた子を初が引き取り育てました)を出産していることを挙げておられます。いくら年子を生んだとしても、短くても1年半ぐらいあけないと平産するのは難しく、ひと昔前までは出産した女性に1年ぐらい排卵がなかったのは常識であると云います。仮に江に半年の早さで排卵があり、幸運に出産したとしても、7月に出産すれば6ヶ月の早産になりますが、家光は平産でした。
 さらに江が家光の誕生月日を隠そうとした点もその論拠に挙げておられます。将軍になった家光の誕生日祈祷をするために金地院崇伝が家光側近で春日局の子である稲葉正勝を通じて家光の誕生月日を尋ねた際、春日局によれば江が家光の誕生月日を伝えることはご法度としてかたくなに隠そうとした経緯があると云います。
 それなら、家光の生母は誰ということになりますが、福田氏は江戸城大奥の奥女中の一人だったとしておられます。もっとも、この件に関しては多くの論証が必要なので、別稿を予定しているとも書いておられるので、早くそれが世に出ることを心待ちにしています。もっとも、家光を生んだこの奥女中を特定するところまで論じられることになるかどうかは分かりませんし、なにしろ秘された話ですから、間接的な状況証拠の積み重ねになるのかもしれませんが。
 江が家光の生母でなかったとしても、江は自分の立場を理解し表向きは家光の母としての役割をまっとうしたという点は福田氏は押さえておられますが、表向きの母としての虚構の側面を明らかにすることが、江に対する真の評価を可能にするし、家光と忠長の問題の理解にもつながると指摘しておられます。
 福田氏によれば、江が秀忠との間に生んだ子は、千、初、忠長の三人だけであり、後の子は秀忠と他の女性との間の子だとも書いておられます。和については、生母が越後国古志郡栖吉(すよし)城主本庄慶俊の娘である妙徳院とする柿花仄氏の説(ただし、和の生母は秀忠の侍妾の一人であり、和を生んだ後も奥女中としての仕事をしたと福田氏は指摘しておられます)を挙げ、福田氏も江が死去した際に天皇夫妻の服喪や触穢が問題になった形跡がまったくない点を論拠にしておられます。

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