古典文学探訪118 徒然草「高名の木登り」の段 緊張が緩んだ後に生まれる油断 

 「徒然草」でもう一つ「高名の木登り」の段を一年の授業で扱いました。これも「ある人、弓射ることを習ふに」と同様、短い段ですが、人間の心理を巧みについた話になっています。
 まず木登りの名人である「高名の木登り」と云った男が、人に指図して高い木に登らせ、梢を切らせた時に、その人が大変危うく見えた間は、「高名の木登り」は何も注意の言葉は言わず、その人が木を降りる時に、家の軒の高さくらいになって初めて、「けがをするな。用心して降りよ。」と声をかけましたので、「私」は疑問に思って、「高名の木登り」に対して「これくらいの高さになれば、飛び降りても降りることができよう。どうしてこう言うのか。」と申しましたところ、「そのことでございます。目がくらんで、枝が危ないうちは、自分が恐れていますから何も申しません。間違いはやさしいところになって、必ずしでかすことでございます。」と答えます。
 ここまでが一続きの文章です。常識とは反対のことを「高名の木登り」が言うので、そばでそれを見ていた「私」が思わずその理由を訊ねたのでしょう。
私自身、大阪の都会に生まれ育ちましたが、近くに木々があり、子供の頃はさかんに木に登りましたし、蝉を採ることなどもよくしました。しかし、今の子は木登りの経験がある者がクラスに数人しかいません。木登りも自然との触れ合いの一つであり、それが失われつつあるのは寂しい気がします。
 兼好法師こと「私」は「高名の木登り」の言葉に感心し、身分の低い者だけれども、中国の聖人の教えに一致していると書いています。身分的な差別のあった時代ですから、「高名の木登り」のことを「あやしき下﨟」と言っていますが、今は許されない言い方です。
 「高名の木登り」は今で云えば、職人の親方といったところですが、昔から職人の世界がどれほどしっかりとしたものであったか、経験に基づいた知恵が代々受け継がれてきたかがうかがえます。難しい危険な高いところを登る時は入念な注意を払いますが、それが成功して緊張の糸が切れた途端、うっかり油断し、怪我や事故につながってしまうということを、「高名の木登り」は経験でよく知っていたのでしょうし、そこを兼好法師は感心し評価したのでしょう。
 蹴鞠も難しいところをうまく蹴り上げた後、安心だと思うと、きっと落ちるというものだそうですと最後の文を結んでいますが、蹴鞠の話を出していることは、兼好法師が貴族であったことを示しています。蹴鞠は今でも京都の神社などでよく行われ、その時は観光客で賑わっていますが、皮製の鞠を数人で蹴り、鞠を落さないようにする競技です。平安朝の装束を着て靴を履き、鞠を落さないように連続して蹴るのはなかなか難しいものだと傍から見ていても思いますが、うまくいったと思って油断したら、その後簡単なところで失敗するというのは、どのスポーツでも、また一般の事でも云えることではないでしょうか。そういう意味では、現代にも充分通じる話であり、今の人も納得できる内容です。

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