日本文学探訪87  宮沢賢治の小説「なめとこ山の熊」2 猟師は旦那に負ける「狐けん」 

 山では豪儀な小十郎でしたが、町の荒物屋に熊の皮を売りに行く時は、みじめな姿に変貌します。主人に買ってくださいと頭を下げて頼みますが、相手は小十郎の足元を見て要らないと突っぱねます。しかし、本当に要らないのではなく、安く買い叩こうとする作戦です。小十郎の方は、売らないでは生活できませんから、いくら安くてもいいから買ってくださいと懇願します。
 彼には九十歳になる母親と5人の孫がおり、彼らを養ってゆかねばなりません。息子と嫁は昔、赤痢でなくなったという設定です。採れるのは稗や栗ぐらいで、米も味噌も買う必要があります。わずかな金額で熊の毛皮を買うことができた主人は、打って変わったように機嫌がよくなります。
 語り手の「僕」は、立派な小十郎が、嫌な主人にしてやられるのがしゃくにさわってたまらないと述べています。この小説では、語り手が介入してくるのはわずかしかありませんが、最初の方に「私」という表現が2回使われており、その次に、小十郎が熊の皮を剥ぐ場面で、「僕」という言い方で登場します。皮を剥いだ後の描写は「僕」が嫌いだからという理由で、カットしています。そして、その次に「僕」が登場するのが、この荒物屋での場面です。「僕」という言い方がされる時には、語り手は感情的になっています。普通、語り手は冷静に客観的に物語ってゆくものですが、この小説の場合は違っており、語り手は感情をあらわに出していて、熱い心の持ち主ということになっています。
 今の生徒は「荒物屋」というものを知らないようです。私の子どもの頃はそういう店がありましたが、今はなくなっているのかもしれません。また、この場面で「狐けん」なる遊びが出てきていますが、これはさすがに私も知りません。じゃんけんゲームの一種であり、狐が猟師に負け、猟師は旦那に負け、旦那は狐に負けるというルールです。
 小さい頃「戦艦」「駆逐艦」「潜水艦」に扮して(帽子のかぶり方で区別していました) 追いかけっこをする遊びがあり、これもじゃんけんと追いかけっことの違いはありますが、戦艦は潜水艦に負け、潜水艦は駆逐艦に負け、駆逐艦は戦艦に負けるというルールでした。またじゃんけんで「軍艦軍艦破裂」「軍艦破裂沈没」などと言いながら行うものがあり、「軍艦」はグーを、「沈没」はチョキ(チイー)、「破裂」はパーを指しましたが、こういう遊びは全国的に行われていたものなのか、私の生まれ育った関西(大阪ですが)特有のものなのかは知りませんが。なお、じゃんけんのことを関西では「いんじゃん」と言いますが、その言い方を知っている生徒は多くいて、まだすたれていないなことに安堵しました。もっとも、これから先どうなるかは分かりませんが、地域の言葉や文化は守り続けていってほしいものです。
 ある時、小十郎が熊を撃とうとしたところ、熊になぜ俺を殺すのだと詰問されます。そこで、小十郎は生きているためには仕方ない行為だが、本当は殺生なんかしたくないと本音を漏らします。熊は2年だけ待ってくれと頼みます。小十郎はなんとも答えませんでしたが、熊は彼を信頼して、後ろを振り向かずに去って行きました。彼なら、後ろから撃つという真似をしないと分かっていたからです。
 

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