京都探訪70 古典文学探訪121  祇園祭・役行者山 「日本霊異記」における役行者 

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 写真は祇園祭の宵山の役行者山を撮ったものです。何十年ぶりかで見に行きました。宵山に行ったのは宇治に移り住んで初めてであり、かつて大阪に住んでいた時、同僚と出かけたことがありますが、その時以来です。祇園祭の山鉾巡行は京都で学生生活を送っていた時に、一度だけ見たことがあります。今年の宵山は45万人の人出でしたが、これでも昨年よりは2万人減ったと云います。
 今回は烏丸御池から歩いて、南に行き、役行者山など6基の山を見ました。さらに南下して他の山鉾も見るつもりでしたが、室町通などは途中から南から北に歩く一方通行に規制されており、それ以上は進めませんでした。むろん、迂回すれば、見られないことはありませんでしたが、時間もかかるので、来年また改めて見に行くことにしました。
 かつては役行者山など9基の山は7月24日の「後祭」に巡行されていましたが、1966年に京都市の要請により、17日に山鉾巡行は一本化されました。今は24日は後祭の代わりに花傘巡行が行われています。しかし、後祭を復活させたいという人々の願いは強く、今年の山鉾巡行は鯛山、役行者山、黒主山の3基が、後祭のルートだった三条通の方向から列に加わりました。行政の意向で、伝統ある後祭が中止されてしまったのは問題に感じますし、早く昔の形に戻してほしいと願ってやみません。
 役行者山の神体は役行者・一言主神・葛城神であり、役行者が一言主神などを呼び寄せて、葛城山と大峰山の間に橋梁を架けた故事にちなんで作られたものです。
 この話は「日本霊異記」にも載っていますが、内容が少し違っており、次のような話になっています。役行者は修行して孔雀経の呪法を修め、仙術を身につけ、鬼神を駆使してどんなことも自由自在にすることができるようになります。役行者は「金峰山と葛城山の間に橋を架けよ」と命じますが、神々は嘆いて葛城山の一言主の大神が人に乗り移って、役行者が陰謀を企て天皇(文武天皇の御代ということになっています)を滅ぼそうとしている讒言します。天皇は役人を差し向け、役行者を捕縛しようとしますが、験力のせいで容易には捕まりませんでした。役人は役行者の母を捕まえると、役行者は母を許してもらうために自分から出てきました。役行者は伊豆の島に流されますが、海上を陸上のように走り、鳥のように飛びます。夜は富士山で修行し、3年後の大宝元年正月に特赦で都の近くに帰ることを許されますが、彼は仙人となって飛び去りました。後日談として、法師が新羅の山中で役行者に逢ったという話が語られますが、すぐに役行者は姿を消してしまったと云います。
 役行者は修験道の開祖として有名ですが、7月16日には聖護院門跡の山伏たちが7つの山を巡拝し、役行者山のところでホラ貝を吹き、護摩を焚いて読経します。今年は巡行の安全を願うと共に、東日本大震災の犠牲者の供養を行い被災地の復興を祈ったと新聞記事に書かれていました。

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